意外と飽きない

闘病無職オタクマンが好きに生きてます

今まで何回「殺す」って使った?

不穏なタイトルではじまります。

 

みなさんは「殺す」という言葉を今までに何回使いましたか?

文章でも、口にした言葉でも、全てカウント、できますか?

 

一度も使ったことはない、という人は、なかなかいないと思います。
もし一度も使っていない人がいらっしゃるなら、それは相当にお育ちが良いか、もしくは怒りの感情を持ち合わせていないか、なんにせよ珍しいお方だと思います(良い意味で)。

 

現代では、冗談、じゃれ合いの範囲内に、「殺す」という言葉はごく自然に入っています。
仲がいい相手に「ふざけるなよ」という意味合いで「おまえ殺すぞ」と言う人もいますし、憎い相手に対して「殺してえ」とぼやく人も、最近は「めんどくさい仕事を済ませた」意味で「仕事殺した」と表現する人なんかもいますね。

 

私は、もう何回「殺す」という言葉を使ったか覚えていません。(こう書くと、厨二病っぽさがすごいですね)

 

それは、じゃれ合いの延長線の「お前殺すぞふざけんなよ(笑)」であったり、めんどくさいタスクに対しての「殺してえ〜」という暴力的表現であったり、本来の意味での「殺す」とは意味合いが異なるものがほとんどです。

 

ですが、本来の意味合いで、言葉を使ってしまったことも、あります。もちろん、実行には移していません。じゃないとブログなんて書いてられませんからね。

 

受け継がれる暴力

なぜこんな話を突然したかといいますと、「泥水ってわりと物騒なこと言うよね」と、同居人に言われたためです。

 

そうかな?そんなに物騒な発言多いかな?と思って改めて振り返ると、なるほど確かに、私は口が悪い。そのことに気づきました。

 

「しかも、結構実感がこもってるよね」とも言われました。つまり、マジのトーンで物騒な発言をしているということです。これも、言われて初めて、「確かにそうかもしれない」と思いました。

 

何故こんな口が悪いんだ?と考えて、思い当たることがありました。

 

それは、父方の祖父の影響です。

 

以前書いたnoteでも少し触れていますが、父方の祖父はわりと暴力的な言葉遣いが目立つ人です。電話口で「殺すからな」と言われたことがありますし、酔うと「バカヤロー」などの暴言も増えます。そして、それは私の父にも受け継がれています。

 

父は、私に対して暴力的な態度をとることはほとんどないですが、「お前が人を殺したら俺がお前を殺すからな」という道徳的教育(?)や、「学校でいじめられたら俺がそいつを殺してやるから心配するな」など、なかなか積極的に殺しに行く発想を持っているようでした。もちろん、父が人を本気で殺すことはないだろうと思っていますが。

 

しかし、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という考えが、私の父方の親戚、少なくとも祖父や父親には根付いているような気がしてなりません。

 

そして、例外なく、私もまた、その考えを受け継いでいるように思います。

 

私の場合、背が低く、体格もあまり良くなく、性別も女で、眼鏡をかけていて、世間一般的に言うと「弱っちい」部類の人間に見えるのだと思います。
実際、平均的身長の成人男性と取っ組み合えば、一瞬でマウントを取られて終わりでしょう。

 

ですが、私は、過激な発想、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という思想を受け継いでしまった人間です。

 

なので、他人に屈するような目に合わされたり、ナメられた態度をとられるたび、「そっちがその気なら私はお前を殺す、全てを失ってでも必ず殺す」と心の中で念じていました。こう書くと、我ながら物騒だなと感じます。

これが、おそらく私の、「マジなトーンで物騒な言葉を使う」原因なんだろうなと思います。あーあー。

 

実際のところ、人を殺すというのは罪です。その人を大事にする全てのつながりを壊し、悲しませることになります。そして、私にも大事にしたいつながりがあります。私が他人を殺せば、きっと私を大事に思ってくれている人に迷惑をかけるでしょう。

 

それでも、私は「究極的に追い詰められたら殺すぞ」というスタンスをやめることができません。

やめる気がないのか、もうやめられなくなってしまっているのか、自分でもわかりません。正直、非常に疲れます。自分でも何と戦っているのかわからないときがあります。

 

思想は受け継がれるというのは絶対ではないと思っていますが、20数年で刷り込まれたものは簡単には変えられないのかもしれませんね。

とはいえ、人を他意なく傷つけるような真似はしたくないので、自分の中の過激さは、うまくコントロールできるようになりたいものです。

 

最近ちょっと精神がアレな、泥水でした。

 

ほんとにどうでもいい補足:

「殺す」といえば、西澤保彦先生の『殺す』という小説、タイトルが直球で好きです。中身も最高。改題前は「猟死の果て」だったみたいですが、この方がしっくりきます。