意外と飽きない

闘病無職オタクマンが好きに生きてます

自分のための記事以外のなにものでもないわよ

メモ:優先度高

・Fran Bowクリア

・世界史勉強

金がなくても全力で”追いたいときに追え”

・リック・アンド・モーティ(ハードカバーのコミックが出た場合)

・ゲーム(スマブラスプラトゥーンは楽しんで良し)

少女ファイト(単行本)

・吸血鬼すぐ死ぬ(単行本)

・映画(ある程度は絞ってね)

 

少し距離を置こう

・MSSP(ライブはOK)

・歌舞伎、宝塚(一等席はやめとけ)

 

楽しもうね!!!

ゲーム

・Fran Bow

・ホットラインマイアミ追加MAP

ダンガンロンパreload

ゼルダの伝説(というかファミコン

 

・西澤作品/貫井作品

・リング

安部公房

 

DVD/Blue-ray

・髑髏城シリーズ(97年、アカ、アオ)

・レッツゴー!忍法帳

・朧の森に棲む鬼

・脳男

・MADMAX(1、2、3)

 

勉強

・世界史(ラテン語、ローマ・ギリシャ文化)

分類学(植物学)

・英語(主にスラング

 

めんどくさいけどやろうよ

・解約手続き諸々

・金問題

 

こんなところか?

ちょっと積みすぎちゃう????????

まあでもそれだけ楽しめるものがあるということで良しとしておこうね

備忘録

今朝、電話がかかってきて、「クレジットカードの支払いができてない」と言われた。

サーーーーッと青くなった。え、あれ、口座そんなに残額なかったっけ?

 

私の金銭感覚というものは死ぬほどガバガバで、というのも生まれたときからこれまで「お小遣い制度」というものがなかったためである。

ほしいものがあったら親に言う。金をもらう。買う。これが私のシステムだった。

 

どう考えても裕福とはいえない(私は自分の部屋すら持っていなかった)家で、なぜそんなシステムがまかり通っていたかというと、親戚にやたら金を持っている人間がいたからだ。

私はある種、金銭的にはその人に生かされていた。自覚はほとんどなかったけれども。

 

私の物欲はかつてあまりにも低すぎるのではというくらい低く、母親に「あまりにものをねだらないから心配」されるくらいだった。文房具の類と、本。私に必要なのはそれだけだった。華美な服も何もいらない。本が一番高い買い物だった。

 

しかし、オタクに目覚めてから私の物欲は爆発した。

一番私を変えた要因として大きいのは、「同人誌」だと思う。

同人誌の意味を知らない人にはご自分で調べていただくとして、ここで理解してほしいのは「一度逃せばもう二度と手に入らないかもしれない」ということだ。

 

そう、たかだか20〜30ページのうっっっっっすい本に、1000円も2000円もかける意味は、「今、この瞬間、猛烈にハマっている作品について他の人が考えた最高の考察本」を楽しみたいから。

そう考えれば金額なんて関係ない。だって自分では絶対に思いつかない、描けない、つくれないものなんですよ!?それを”金”というもので買えるんですよ!?だったら払うでしょ!!!!!!!!

 

そう、価値というものは他人には推し量れないものだ。

 

ただ、最近自分は、あまりに簡単に消費をしすぎている。

さすがにそう感じた。まあその、口座がゼロになるほど買い物をしたからというのもあるんだけれど、部屋の中を見渡すとすごく実感する。

 

「買ったのに遊び尽くしていないもの」があまりにも多い。

 

例えば積み本。今把握してるだけでも5冊はある。興味があって買ったのに!読めや!!!!!!!

さらにはDVD。見てないのが多分10本以上ある。観ろや!!!!!あんだけワクワクしながら買ったのになんで観てねえんだよ!!!!!!!!!

 

多分、積みすぎたのがいけない。「どれから手をつけよう」状態になってしまって、だんだんと昔に買った存在を忘れていっている。それがまずい。

 

なので備忘録として、これから消化・・・というか、「これを楽しまずに次に移ってしまうことがないように」という戒めのためのメモを書くことにする。

 

ほんと・・・金銭感覚だけはどうにかしたい・・・あと無条件で◯◯は買うとか言ってられるほど余裕ないことをもっと自覚したい・・・お前いま無職やぞ・・・!!!!

 

反省案件だよ。でも文章化したら少し冷静になれた。

今あるものを楽しみ尽くすまでは買い物は軽率にしないこと。胸に刻もう!!!!

厨二病プロジェクト

本格的にnoteばっかり使うようになってきた。

でもこのブログを消さないのは、何も考えずにとりあえず文章を書ける場があるっていいよね、という気持ちからである。

 

かきたいことは色々とある。

 

まず最近、MSSPの「ソウルミーティングツアー」、通称SMTに行ってきたこと。

 

MSSPとは主にニコニコ動画で活動している、FB777(えふびーすりーせぶん)、KIKKUN-MK-Ⅱ(きっくんまーくつー)、あろまほっと、eoheoh(えおえお)の4人から構成されるエンタメ集団である。

 

ゲーム実況グループ、と言ったほうが通じるのかもしれないが、少し違う。

 

もともとFBときっくんの2人が「自分たちの音楽をみんなにきいてほしい」→「有名になるにはどうすればいいか?」→「ゲーム好きだし、実況やってまず知名度をあげよう!そのなかに音楽を混ぜていこう!」というコンセプトで始まったグループなので、「音楽」発祥の「ゲーム実況」グループと言ったほうが、より正しいと思われる。

 

私が彼らのファンになってから、5年ほどたつ。

 

5年前といえば、彼らがマインクラフト実況で一気に知名度をあげ、実況OPテーマとして作成された音楽「THE WORLDS」がきっかけで音楽方面にもファンが集まり、ついにCDが出た頃、だったと思う。

 

私は本当に、ちょうど絶妙なタイミングにハマったというか、運が良かったというか、彼らが本格的に音楽活動に取り組み始めた頃合いでハマったので、初回のライブの追加公演から、参戦することができた。

 

彼らのアガりっぷり、特にFBさんの動きのぎこちなさはすごかった。「インドア派」と自称しているのが本当によくわかった。もう、全然動かないのだ。演奏に必死すぎて、パフォーマンスなんかできるわけないだろ!っていう感じがすごいのだ。

 

でも、彼らなりの、その時点で出せる最大限のパワーを感じた。とにかく来てくれた人を楽しませようという気持ちがすごく伝わってきたし、本来は音楽にまったく関与していないあろまほっと・eoheohコンビの、パフォーマーに徹する姿勢はすごかった。

 

彼らのライブには、ツアーがあるたび必ず一度は参戦するようにしているのだけれど、毎回毎回、着実に進化していくのを感じる。

 

FBさんはパフォーマンスをするようになってきた。動き回り、微笑んで、演奏をするようになった。きっくんは昔からライブ慣れしているのか、もともと動く方だったが、さらに進化してすごい動きをしてくれるようになった。MCもばっちりこなす。あろまほっと氏のダンスはキレキレになっていく。言動もキレキレである。eoheoh氏はダンスだけでなく、サンプラー?を使うようになった。あと、すごい身体を張るようになった。

 

もう、とにかく初回ライブを観たファンとしては、「よくぞここまで」と涙が出るほどかっこよく進化しているのがわかって、とにかくすごいのだ。

 

上から目線でめっちゃ話してしまったが、とにかく、とにかく進化しているのだ。

 

・・・だいぶ話がそれた。

 

そう、SMTの話だった。

今回はライブではなくて、「ファンとの交流」がメインのイベント。

 

なので、客はライブと違ってただ椅子に座ってるだけで、彼らのワチャワチャ、もといゲーム実況や芸人の対決みたいなのを眺めて爆笑したり応援したりするのがメインなのである。

 

私は2回参戦し、2回とも2階席だったので、わりとマジで観戦モードだった。

1階席の人はゲームに間接的に参加することが多いのだけれど。

 

観戦モードでも、実に楽しかった。

笑いがとまらなかった。彼らのやりとりはとにかく明るくて、仲良しで、ほっこりする。

 

MSSPの魅力について、noteでまとめたい、と思いつつ、どう書くのがよいのか、ちょっと定まらない。

 

ただとりあえず、SMTが楽しかった、ということだけ今はここに書いておきたかった。

 

補足として、私は箱推しだが、あえて一人にしぼるならFB777さん推しである。

彼のクソギャグもクソ歌も大好き。ぴるぴるちゅーんで何回泣いたかわからない。

飽きてないよ

ブログを1ヶ月放置したらメールで「1ヶ月更新していません!なにか書いてみませんか?」というやつがきた。

 

別に飽きたわけでもないし、書くことがないわけでもない。

 

単純に趣味の方に没頭していただけであって、ブログの優先度が低かっただけというか、もともとココはnoteと違って独り言の場という感覚だし・・・。

 

壁にむかってしょっちゅうしゃべってるほうがアカンのでは。

 

でもメールでちょっと腹たったというか、「今やろうと思ってたのに」みたいなふてくされた気持ちになったので、ブログを久々に書く。

 

 

最近は、子供の頃に読んでいた児童書を読み直している。

今住んでいるところの図書館の品揃えがなかなか良いのである。

 

特に、はやみねかおるの『名探偵 夢水清志郎シリーズ』『怪盗 クイーンシリーズ』。

子供心に、すごく好きな話が多く、また、キャラも魅力的だった。

 

思えばミステリー好きになったのも、はやみねかおる氏のこのシリーズの影響が大きいのかもしれない。

 

夢水清志郎は常識がなく、人の顔も、自分の年齢さえも覚えていられない。

なのにフランス語が話せたり、英語が話せたり、妙な豆知識をたくさんもっている。

 

彼の謎解きは、だいたい事件後、すぐに終わっている。

 

「もう僕にはわかってるけど、謎解きをねだるより、まずは自分で考えなよ」というスタイルで、主人公(?)の岩崎三姉妹にヒントを出してやったりする。

 

私も、なんとか謎を解こうと知恵をしぼりだしてみる。

いくつかの作品は、トリックを当てることができて、スッとした。

 

夢水清志郎のいいところは、犯人を追い詰めない謎解きのスタイルだと思う。

 

真犯人の狙いを考えてわざと少し間違えた推理をしたりして、その場を解決に導いたあとで、本当の推理を犯人と2人きりで行ったりする。

 

犯人も、本当の罪人というより、なにか事情があったりして、後味が悪かったり、爽快だったり、話によって結構読後感が変わる。

 

怪盗クイーンは、ひたすらにエンターテイナーであり、かつ怪盗として最高の存在である。

 

素手でものを切断し、変装の名人で、性別すら不明。

無愛想なパートナーの「ジョーカー」と、”歌って踊れる”人工知能の「RD」と共に、優雅に飛行船で過ごしている。

 

今読み直しても、やっぱりワクワクするものがある。

 

自分の性癖というか、好みはこのへんで形成されたんだろうなあ、という感覚が、はやみねかおるの本を読むとひしひし感じられる。

 

児童書はあなどりがたし。次はダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品が読みたいな。

あなた、誰でしたっけ

私は、人の顔の区別がつかない。

例えば例の48人いるアイドルグループとか。

 

48人は普通の人もキツイでしょう、もうちょっと抑えてみましょうよ、と。

人数が少なければいいのかというと、そうでもない。

5人だろうと、覚えられないグループもいる。

 

そして、さらに、名前が覚えられない。

なんとか顔を覚えられたとする。しかし、顔と名前が一致しない。

逆のパターンもある。名前は覚えたけれど、その人がどれかわからない。

 

高校までは「1年を同じ部屋で過ごす」だけあって、なんとかクラスメートの名前と顔は覚えることができていたと思う。全員ではなかった気もするけど。

 

しかし、大学に入って以降は、もう完全に覚えることができなかった。

 

自分の受けている講義の先生の名前が覚えられない。

比較的、真面目に授業は聞いていた。そこそこの成績をおさめていた自負はある。

しかし、先生の名前は覚えられなかった。

 

「多分、覚える気がないんだろう」と私は考えていた。

必要じゃないから脳が放棄してるだけで。頑張れば覚えられるもんだと。

 

しかしそれは、会社に入って、見事に打ち砕かれた。

同期のメンバー、そして上司。

覚えるべき人たちだ。特に、上司。

 

結果としては、全然、覚えられなかった。

覚えようという努力はした。

名乗られるたびに顔の特徴をメモし、名前を書き記しておいた。

 

人数が多いわけでもなかった。なのに、覚えられなかった。

正直、驚いた。

私、覚えようとしないんじゃなくて、覚えられないんだ、と、やっと理解した。

 

でも、私みたいなやつはわりといるんじゃないか、と思っていた。

しかし、同期は上司の名前を大体覚えていた。

衝撃であった。どういう脳みそをしているのだ、と。天才なのか、と。

 

それに反して、私は、漫画のキャラクターは、いくらでも覚えられる

なんなら、誕生日や血液型、星座まで把握していたりする。

映画の監督の名前、手がけた作品も、覚えている。

なので、記憶力がないわけではない、と思う。

 

そういえば、現実でも、覚えられる人間は存在したな、と思い出した。

深く関わったことのある人物。

何かしら強烈なエピソードがある人物。

大きな特徴を持つ人物。

 

昔、大学に所属していたサークルで、後輩たちを動物化したイラストを、遊び半分に描いたことがあった。

私は、後輩たちの顔と名前はだいたい覚えている。

彼らの性格も、自分の把握している限りでは、覚えている。

 

しかし、同期の名前は、覚えていない。

全員ではないが、だいぶ、抜け落ちている。

関わった回数が少ない相手ほど、思い出せない。

さすがに一応、ひととおりの顔は覚えている。と、思う。

でも、名前が出てこない。

 

先輩の名前も、覚えきれていない。

顔は大体思い出せるが、名前が出てこない。

どんなことを話したか、どんなふうに遊んでもらったか、出来事は覚えている。

なのに、関わった時間が長い相手ですら、出てこないときがある。

 

先輩・同期・後輩のそれぞれに対する親愛の情に、そこまでの差はないと思う。

過ごした時間の大きさで考えれば、同期が一番長いだろう。

名前を覚えなくてはいけない優先度で言えば、目上の先輩が最も上かもしれない。

 

しかし、私が最も覚えているのは、後輩である。

 

決して、先輩や同期のキャラが薄かったとは思わない。

むしろ全員が濃かった。それぞれ別のベクトルに尖っていた。

 

カルピスの原液5倍濃縮みたいなヤツ。

透明なのにめちゃくちゃ濃い謎の味がついてる新種のいろはすみたいなヤツ。

普通の炭酸水だと思って飲んだら歯全部溶けそうになるヤツ。

飲めますっていうラベルが貼ってあるのに中身が液体窒素のヤツ。

 

私が何故、後輩だけをまともに覚えられているのか。

 

それはおそらく、自分が彼らを「特徴をもったキャラクター」として一度脳に書き込み、絵という形でアウトプットしたからだと思われる。

 

私は漫画のキャラクターは覚えられる。映画のキャラクターも覚えられる。

彼らは特徴的にデザインされている。

見分けがつくようにするためだ。

そして、個々に何かしらのエピソードを持っている。

印象を強くするため、または共感を呼び起こすためだ。

 

私は後輩を「特徴を極端に引き出してキャラクター化し、彼らのエピソードから連想したポーズや服装を描いた」

 

それによって、私の脳に、彼らが「キャラクター」として登録されたのだろう。

 

上司がみんな、非常に変わった風貌をしていたら。

妙ちきりんな趣味を持ってたり、語尾が「〜ザウルス」だったりしたら。

もしくは、私服の色をレンジャーものみたいに、バラバラにしてくれたら。

覚えられたんだろうか。

 

会社をやめた今となっては、わからないことである。

 

次に人に会うときは、名刺をもらってその裏に、遊戯王カードみたいに、キャラクター化して描かせてほしいなあ、と思う。

それを許してくれないなら、当然のように「私のことを、覚えているだろ?」と、私に向かってこないでもらえれば、と願う。

私は、失礼ながら、あなたのことを、覚えているか、わからない。

髪を剃る

本日、ハローワークで済ませるべき手続きを済ませました。

仕事をやめて、事務的な手続きは大体これで終わり、なのでそろそろいいか、と。

 

帰り道でバリカンを買いました。

 

とりあえず、こめかみ付近を剃りこみました。上の方は長いので、一瞬みただけではわからないようになってます。普通に見えるけれど、よく見ると中身が坊主、がコンセプトです。

さわるとじょりじょりします。なつかしい感覚です。

 

実は私は、以前も坊主にしていたことがありました。

 

大学生のときに、バイト先の、顔中ピアスでピンク色の髪をした店長がキッチンで材料を切りながら「マリリン・マンソン好きなんだ〜?髪型似せてみる?俺、バリカン持ってるからやってあげるよ〜」と朗らかに言いました。私は、「いいんすか!!!ヤッター!!!!」と大喜びで頼みました。

 

その頃の写真は携帯のデータが吹っ飛んでしまったために残っていないのですが、長髪(ポニーテールができる程度)の頭のうちの、右半分を坊主にして、さらに店長の謎の技術で蜘蛛の巣の模様を剃り込みでいれてもらいました。

 

髪をおろせば普通に見える。

ポニーテールにすると一気に坊主が丸見えになって、さらに蜘蛛の巣がむき出しになる。

 

帰宅した私を観て、母と父は仰天しました。でも、怒りはしませんでした。

いや、若干怒っていたかもしれませんが、なんとなく「もうやっちゃったもんはしゃーないわ」みたいな感じでした。というか驚きすぎて怒れなかったのかもしれません。

髪をおろせば意外と普通に見えるところも、妥協できるポイントだったのでしょうか。

一応母には前もって伝えておいたのですが、「ここまでだとは想定してなかった」と言われました。まあそりゃそうだね。

 

その状態で、女性のほぼいない(理工学系しかないため)男子校のような大学へ通っていました。

 

ポニーテールに髪をくくって、蜘蛛の巣を右の頭にはりつけて、通っていました。

 

私の頭を見た友人は、爆笑したり、驚いたりしたあとで、「触らせて!」と面白がってじょりじょりと触ってきました。

逆に、知らない人たちは、なんとなくいつも以上に遠ざかっていくように感じました。気の所為かもしれないですけど。

 

私は「マリリン・マンソンヘアは威嚇になるんだな」と感じ入りました。

 

・・・

 

小学生の頃、私は髪をのばしていました。

 

それは、母の希望でした。

母は私の髪を編み込んだり、いろいろな髪ゴムを買ってきては飾り付けたり、とにかく毎朝、櫛で丁寧にとかしては、こった髪型に結んでから、小学校へ送り出していました。

私は私で、「髪はくくってあって運動の邪魔にならなければなんでも良い」という考えだったので、母の好きにさせていました。

 

友達はときどき、私の髪型を「おもしろい」「かわいい」と褒めてくれました。私は褒められるたびに「母の手柄だなあ」と、むずがゆくも嬉しい気持ちでした。

 

その後、中学生になり、「もう母にこった髪型にしてもらうのは年齢的にも卒業だろう」と、髪いじりを拒否しました。ポニーテールにするだけでいい、と。

 

母は寂しそうにしていました。

 

それで一度、髪を短く、肩くらいまでになるように切ったのですが、髪質的に長くないと重さがなくて駄目なのか、まるで金太郎のようなボサッと広がった髪型になりました。

友人にあまりに金太郎金太郎と言われるので、結局伸ばし戻して、ポニーテールに戻すことにしました。まあ結果的には金太郎から桃太郎に呼び名が変わっただけでしたけども。

 

そして大学生になり、マンソンヘア(半坊主)になり、坊主部分の髪がのびてきて、研究室に配属するために「普通の髪型」が求められる時期になった頃。

 

のびた坊主部分の髪にあわせて、長い方を切りました。

人生ではじめての本格的なショートカットでした。とても頭が軽くて、楽で、シャワーをあびてもすぐ乾いて、なんて便利なんだと感動しました。

 

母は「ショート、思った以上に似合うね」と言ってくれました。私も、長いよりは短い方が自分には合っているような気がしました。

 

・・・

 

私の小さい頃の、やわらかくて茶色い、長い髪の毛は、もうありません。

母が私の髪の毛をいじることも、もうきっと、ないでしょう。

 

さっき、LINEで、母に剃り込んだ髪の写真を送りました。

どんな反応がくるかわかりません。また剃ったの?と呆れられるか、あんた坊主ほんと好きねえ、と笑われるか。

 

私の髪はもう短くてチクチクしていて、結ぶこともできない長さですが、それでもまだ、私の心のどこかに、髪を編み込まれながら「そこ痛い痛い!ひっぱんないで!」「ちょっと我慢して、もうすぐだから」と、母と無邪気にじゃれあっている小学生の自分がいるのを感じます。

 

母の手を離れていくことへの罪悪感が、あります。

母をひとり実家に残していくことの申し訳無さが、あります。

 

それでも私は、自分の幸せを追求することを決めたので、髪を短くしてゆくのです。

 

はては坊主かモヒカンか。泥水でした。

『シリアルキラー展Ⅱ(前期)』に行ってきた

こんにちは。台所のコバエが全然撲滅できねえ。泥水です。

 

突然ですが『シリアルキラー展』というものが今現在、新橋・銀座駅付近のヴァニラ画廊という場所で行われているのをみなさんはご存知でしょうか。

 

www.vanilla-gallery.com

 

シリアルキラー。単純に翻訳するなら「連続殺人犯」ですかね。

ですが、おそらく殺害した人数が多ければ良いというものではありません

 

他人には理解できないような猟奇的な方法で殺害する。独特の執着心を持ち、特定の特徴を持った人間のみを標的に殺害する。非常に優しい人物として知られていたにも関わらず、何十人もの人を殺害し、何事もないかのように暮らし続ける

 

つまり、世の中における異端の存在

それがシリアルキラーと呼ばれる人々なのでしょう。

 

私はもともと『マリリン・マンソン』というバンド(メンバー全員がシリアルキラーと女優の名前を混ぜた名前で活動している)の曲が好きなのと、スプラッタ映画、海外ホラー映画が好きなのもあって、シリアルキラーと呼ばれる人々についての知識を少しだけ持っていました。

 

昔、自分で調べたなかで、最も強烈な印象として残ったのは、「ジョン・ウェイン・ゲイシー」でした。

資産家の名士で、ボランティア活動にも積極的に参加し、周囲から”良い人”という評判を得ていた彼は、裏では少年に性的暴行を加えて殺すことを繰り返し、33人もの命を奪ったことで、世界を震撼させました。

 

彼は地元での慈善活動の一環として、ピエロに扮することが多く、それゆえに「キラー・クラウン(殺人ピエロ)」というあだ名がついています。彼自身はピエロに扮する際、「ポゴ」と名乗っていたようです。

 

彼の描くピエロの絵(自画像)は、非常に鮮やかな色使い、光が入っているのに虚ろな目、同じようなパターンの繰り返し・・・どことなく、不気味さが感じられます。

 

このたび行われているシリアルキラー展Ⅱ(前期)においても、ポスターにでかでかと彼の絵が使われています。

下はヴァニラ画廊の入り口で撮った写真ですが、もう、すでにヤバイ感じ

なんかやたら不安になります。ピエロ恐怖症でもないのに。

 

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まあこんな感じのポスターに見守られつつ、地下へ降り、展示をじっくり見てきました。

 

生でジョン・ウェイン・ゲイシー氏の絵を見た感想としては、「ただただ怖い」

 

「人を殺した人間が描いたから」という先入観は、あるかもしれません。

ですがそれ以前に、まず、何か、とにかく不安になる絵でした。

 

絵そのもののクオリティは高くも低くもない印象です。ただ、画家として活動していたわけではないにしていは、一定のクオリティが感じられ、うまい部類だと思います

 

ですが、それがより一層不気味さを煽っている感じがしました

 

私は、グロテスクな絵や不気味な絵を好んで探すことがあります。

「見ると死ぬ絵」として有名なベクシンスキーの作品などは非常に好みです。夜中にはあまり見たくありませんが。

 

ですが、そういった「不気味な絵」の何百倍も、「普通に描かれたピエロの自画像」は私に恐怖心を抱かせました

 

彼、ジョン・ウェイン・ゲイシー氏は、理性的に絵を描けている。

自画像として、非常によくできている。

これを描いた人間は、衝動でグチャグチャにものを描いたわけじゃない。

きちんと理性を持って、筆をとって、絵を描いた。

33人という途方もない人数を残酷な方法で殺しながらも、この絵を描いたんだ。

 

そう認識した途端、もうそれ以上、その絵を見ていられませんでした。

あんなに厨二心に惹かれていた、彼の絵をナマで見るという感動も、一応きちんとありましたが、それでもやっぱり、「怖い」という気持ちが勝りました。

 

 

他の展示物に関しては、まあ色々です。ほんとに色々。

本人の髪の毛や爪であったり、歯のレントゲン写真だったり、殺害現場の瓦礫の一部だったり。どういうルートでこんなものが出回るのかしら、という感じの不思議な展示物がたくさんありました。

 

また、本人の書いた手紙なども展示されていました。

やたらにかわいい丸文字の上にポップな絵柄で赤ん坊を絞め殺している絵が描かれていたり(人肉バーガーを作っていた人の手紙でした)、ビックリマークの下にニコニコマークがついていたり、個性がいい意味でも悪い意味でも感じられます。

 

当たり前なのですが、「文字とか顔写真だけ見ると、みんなと同じ、普通の人間なんだなあ」と思いました。

 

殺人鬼を礼賛、崇拝する気持ちはそこまでありませんが、彼らの独特の美学や、幼少期の経験による性格の変化、「どうやってシリアルキラーになるに至ったか」の経緯は非常に興味深いです。

 

そういう意味で、今回の展示は、彼らの心の一部を垣間見ることができたような気がして、行ってよかったなと思います。

 

後期も行けたら行きたいところです。なんてったってマンソンとラミレズがいるからな!マリリン・マンソンファン的にはそこ推さないとな!

 

 

ちなみにマリリン・マンソンに、殺人ピエロのジョン・ウェイン・ゲイシーの名前を拝借しているメンバーはいます(正確には”いました”)。マドンナ・ウェイン・ゲイシー、あだ名はもちろんポゴです。

 

www.youtube.com

 

これの2分あたりから出てくるメンバーたちの中で、犬を撫でてゆらゆらしている彼がポゴです。かわいい。

 

以上、シリアルキラー展Ⅱ前期の感想でした。