意外と飽きない

闘病無職オタクマンが好きに生きてます

飽きてないよ

ブログを1ヶ月放置したらメールで「1ヶ月更新していません!なにか書いてみませんか?」というやつがきた。

 

別に飽きたわけでもないし、書くことがないわけでもない。

 

単純に趣味の方に没頭していただけであって、ブログの優先度が低かっただけというか、もともとココはnoteと違って独り言の場という感覚だし・・・。

 

壁にむかってしょっちゅうしゃべってるほうがアカンのでは。

 

でもメールでちょっと腹たったというか、「今やろうと思ってたのに」みたいなふてくされた気持ちになったので、ブログを久々に書く。

 

 

最近は、子供の頃に読んでいた児童書を読み直している。

今住んでいるところの図書館の品揃えがなかなか良いのである。

 

特に、はやみねかおるの『名探偵 夢水清志郎シリーズ』『怪盗 クイーンシリーズ』。

子供心に、すごく好きな話が多く、また、キャラも魅力的だった。

 

思えばミステリー好きになったのも、はやみねかおる氏のこのシリーズの影響が大きいのかもしれない。

 

夢水清志郎は常識がなく、人の顔も、自分の年齢さえも覚えていられない。

なのにフランス語が話せたり、英語が話せたり、妙な豆知識をたくさんもっている。

 

彼の謎解きは、だいたい事件後、すぐに終わっている。

 

「もう僕にはわかってるけど、謎解きをねだるより、まずは自分で考えなよ」というスタイルで、主人公(?)の岩崎三姉妹にヒントを出してやったりする。

 

私も、なんとか謎を解こうと知恵をしぼりだしてみる。

いくつかの作品は、トリックを当てることができて、スッとした。

 

夢水清志郎のいいところは、犯人を追い詰めない謎解きのスタイルだと思う。

 

真犯人の狙いを考えてわざと少し間違えた推理をしたりして、その場を解決に導いたあとで、本当の推理を犯人と2人きりで行ったりする。

 

犯人も、本当の罪人というより、なにか事情があったりして、後味が悪かったり、爽快だったり、話によって結構読後感が変わる。

 

怪盗クイーンは、ひたすらにエンターテイナーであり、かつ怪盗として最高の存在である。

 

素手でものを切断し、変装の名人で、性別すら不明。

無愛想なパートナーの「ジョーカー」と、”歌って踊れる”人工知能の「RD」と共に、優雅に飛行船で過ごしている。

 

今読み直しても、やっぱりワクワクするものがある。

 

自分の性癖というか、好みはこのへんで形成されたんだろうなあ、という感覚が、はやみねかおるの本を読むとひしひし感じられる。

 

児童書はあなどりがたし。次はダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品が読みたいな。

あなた、誰でしたっけ

私は、人の顔の区別がつかない。

例えば例の48人いるアイドルグループとか。

 

48人は普通の人もキツイでしょう、もうちょっと抑えてみましょうよ、と。

人数が少なければいいのかというと、そうでもない。

5人だろうと、覚えられないグループもいる。

 

そして、さらに、名前が覚えられない。

なんとか顔を覚えられたとする。しかし、顔と名前が一致しない。

逆のパターンもある。名前は覚えたけれど、その人がどれかわからない。

 

高校までは「1年を同じ部屋で過ごす」だけあって、なんとかクラスメートの名前と顔は覚えることができていたと思う。全員ではなかった気もするけど。

 

しかし、大学に入って以降は、もう完全に覚えることができなかった。

 

自分の受けている講義の先生の名前が覚えられない。

比較的、真面目に授業は聞いていた。そこそこの成績をおさめていた自負はある。

しかし、先生の名前は覚えられなかった。

 

「多分、覚える気がないんだろう」と私は考えていた。

必要じゃないから脳が放棄してるだけで。頑張れば覚えられるもんだと。

 

しかしそれは、会社に入って、見事に打ち砕かれた。

同期のメンバー、そして上司。

覚えるべき人たちだ。特に、上司。

 

結果としては、全然、覚えられなかった。

覚えようという努力はした。

名乗られるたびに顔の特徴をメモし、名前を書き記しておいた。

 

人数が多いわけでもなかった。なのに、覚えられなかった。

正直、驚いた。

私、覚えようとしないんじゃなくて、覚えられないんだ、と、やっと理解した。

 

でも、私みたいなやつはわりといるんじゃないか、と思っていた。

しかし、同期は上司の名前を大体覚えていた。

衝撃であった。どういう脳みそをしているのだ、と。天才なのか、と。

 

それに反して、私は、漫画のキャラクターは、いくらでも覚えられる

なんなら、誕生日や血液型、星座まで把握していたりする。

映画の監督の名前、手がけた作品も、覚えている。

なので、記憶力がないわけではない、と思う。

 

そういえば、現実でも、覚えられる人間は存在したな、と思い出した。

深く関わったことのある人物。

何かしら強烈なエピソードがある人物。

大きな特徴を持つ人物。

 

昔、大学に所属していたサークルで、後輩たちを動物化したイラストを、遊び半分に描いたことがあった。

私は、後輩たちの顔と名前はだいたい覚えている。

彼らの性格も、自分の把握している限りでは、覚えている。

 

しかし、同期の名前は、覚えていない。

全員ではないが、だいぶ、抜け落ちている。

関わった回数が少ない相手ほど、思い出せない。

さすがに一応、ひととおりの顔は覚えている。と、思う。

でも、名前が出てこない。

 

先輩の名前も、覚えきれていない。

顔は大体思い出せるが、名前が出てこない。

どんなことを話したか、どんなふうに遊んでもらったか、出来事は覚えている。

なのに、関わった時間が長い相手ですら、出てこないときがある。

 

先輩・同期・後輩のそれぞれに対する親愛の情に、そこまでの差はないと思う。

過ごした時間の大きさで考えれば、同期が一番長いだろう。

名前を覚えなくてはいけない優先度で言えば、目上の先輩が最も上かもしれない。

 

しかし、私が最も覚えているのは、後輩である。

 

決して、先輩や同期のキャラが薄かったとは思わない。

むしろ全員が濃かった。それぞれ別のベクトルに尖っていた。

 

カルピスの原液5倍濃縮みたいなヤツ。

透明なのにめちゃくちゃ濃い謎の味がついてる新種のいろはすみたいなヤツ。

普通の炭酸水だと思って飲んだら歯全部溶けそうになるヤツ。

飲めますっていうラベルが貼ってあるのに中身が液体窒素のヤツ。

 

私が何故、後輩だけをまともに覚えられているのか。

 

それはおそらく、自分が彼らを「特徴をもったキャラクター」として一度脳に書き込み、絵という形でアウトプットしたからだと思われる。

 

私は漫画のキャラクターは覚えられる。映画のキャラクターも覚えられる。

彼らは特徴的にデザインされている。

見分けがつくようにするためだ。

そして、個々に何かしらのエピソードを持っている。

印象を強くするため、または共感を呼び起こすためだ。

 

私は後輩を「特徴を極端に引き出してキャラクター化し、彼らのエピソードから連想したポーズや服装を描いた」

 

それによって、私の脳に、彼らが「キャラクター」として登録されたのだろう。

 

上司がみんな、非常に変わった風貌をしていたら。

妙ちきりんな趣味を持ってたり、語尾が「〜ザウルス」だったりしたら。

もしくは、私服の色をレンジャーものみたいに、バラバラにしてくれたら。

覚えられたんだろうか。

 

会社をやめた今となっては、わからないことである。

 

次に人に会うときは、名刺をもらってその裏に、遊戯王カードみたいに、キャラクター化して描かせてほしいなあ、と思う。

それを許してくれないなら、当然のように「私のことを、覚えているだろ?」と、私に向かってこないでもらえれば、と願う。

私は、失礼ながら、あなたのことを、覚えているか、わからない。

髪を剃る

本日、ハローワークで済ませるべき手続きを済ませました。

仕事をやめて、事務的な手続きは大体これで終わり、なのでそろそろいいか、と。

 

帰り道でバリカンを買いました。

 

とりあえず、こめかみ付近を剃りこみました。上の方は長いので、一瞬みただけではわからないようになってます。普通に見えるけれど、よく見ると中身が坊主、がコンセプトです。

さわるとじょりじょりします。なつかしい感覚です。

 

実は私は、以前も坊主にしていたことがありました。

 

大学生のときに、バイト先の、顔中ピアスでピンク色の髪をした店長がキッチンで材料を切りながら「マリリン・マンソン好きなんだ〜?髪型似せてみる?俺、バリカン持ってるからやってあげるよ〜」と朗らかに言いました。私は、「いいんすか!!!ヤッター!!!!」と大喜びで頼みました。

 

その頃の写真は携帯のデータが吹っ飛んでしまったために残っていないのですが、長髪(ポニーテールができる程度)の頭のうちの、右半分を坊主にして、さらに店長の謎の技術で蜘蛛の巣の模様を剃り込みでいれてもらいました。

 

髪をおろせば普通に見える。

ポニーテールにすると一気に坊主が丸見えになって、さらに蜘蛛の巣がむき出しになる。

 

帰宅した私を観て、母と父は仰天しました。でも、怒りはしませんでした。

いや、若干怒っていたかもしれませんが、なんとなく「もうやっちゃったもんはしゃーないわ」みたいな感じでした。というか驚きすぎて怒れなかったのかもしれません。

髪をおろせば意外と普通に見えるところも、妥協できるポイントだったのでしょうか。

一応母には前もって伝えておいたのですが、「ここまでだとは想定してなかった」と言われました。まあそりゃそうだね。

 

その状態で、女性のほぼいない(理工学系しかないため)男子校のような大学へ通っていました。

 

ポニーテールに髪をくくって、蜘蛛の巣を右の頭にはりつけて、通っていました。

 

私の頭を見た友人は、爆笑したり、驚いたりしたあとで、「触らせて!」と面白がってじょりじょりと触ってきました。

逆に、知らない人たちは、なんとなくいつも以上に遠ざかっていくように感じました。気の所為かもしれないですけど。

 

私は「マリリン・マンソンヘアは威嚇になるんだな」と感じ入りました。

 

・・・

 

小学生の頃、私は髪をのばしていました。

 

それは、母の希望でした。

母は私の髪を編み込んだり、いろいろな髪ゴムを買ってきては飾り付けたり、とにかく毎朝、櫛で丁寧にとかしては、こった髪型に結んでから、小学校へ送り出していました。

私は私で、「髪はくくってあって運動の邪魔にならなければなんでも良い」という考えだったので、母の好きにさせていました。

 

友達はときどき、私の髪型を「おもしろい」「かわいい」と褒めてくれました。私は褒められるたびに「母の手柄だなあ」と、むずがゆくも嬉しい気持ちでした。

 

その後、中学生になり、「もう母にこった髪型にしてもらうのは年齢的にも卒業だろう」と、髪いじりを拒否しました。ポニーテールにするだけでいい、と。

 

母は寂しそうにしていました。

 

それで一度、髪を短く、肩くらいまでになるように切ったのですが、髪質的に長くないと重さがなくて駄目なのか、まるで金太郎のようなボサッと広がった髪型になりました。

友人にあまりに金太郎金太郎と言われるので、結局伸ばし戻して、ポニーテールに戻すことにしました。まあ結果的には金太郎から桃太郎に呼び名が変わっただけでしたけども。

 

そして大学生になり、マンソンヘア(半坊主)になり、坊主部分の髪がのびてきて、研究室に配属するために「普通の髪型」が求められる時期になった頃。

 

のびた坊主部分の髪にあわせて、長い方を切りました。

人生ではじめての本格的なショートカットでした。とても頭が軽くて、楽で、シャワーをあびてもすぐ乾いて、なんて便利なんだと感動しました。

 

母は「ショート、思った以上に似合うね」と言ってくれました。私も、長いよりは短い方が自分には合っているような気がしました。

 

・・・

 

私の小さい頃の、やわらかくて茶色い、長い髪の毛は、もうありません。

母が私の髪の毛をいじることも、もうきっと、ないでしょう。

 

さっき、LINEで、母に剃り込んだ髪の写真を送りました。

どんな反応がくるかわかりません。また剃ったの?と呆れられるか、あんた坊主ほんと好きねえ、と笑われるか。

 

私の髪はもう短くてチクチクしていて、結ぶこともできない長さですが、それでもまだ、私の心のどこかに、髪を編み込まれながら「そこ痛い痛い!ひっぱんないで!」「ちょっと我慢して、もうすぐだから」と、母と無邪気にじゃれあっている小学生の自分がいるのを感じます。

 

母の手を離れていくことへの罪悪感が、あります。

母をひとり実家に残していくことの申し訳無さが、あります。

 

それでも私は、自分の幸せを追求することを決めたので、髪を短くしてゆくのです。

 

はては坊主かモヒカンか。泥水でした。

『シリアルキラー展Ⅱ(前期)』に行ってきた

こんにちは。台所のコバエが全然撲滅できねえ。泥水です。

 

突然ですが『シリアルキラー展』というものが今現在、新橋・銀座駅付近のヴァニラ画廊という場所で行われているのをみなさんはご存知でしょうか。

 

www.vanilla-gallery.com

 

シリアルキラー。単純に翻訳するなら「連続殺人犯」ですかね。

ですが、おそらく殺害した人数が多ければ良いというものではありません

 

他人には理解できないような猟奇的な方法で殺害する。独特の執着心を持ち、特定の特徴を持った人間のみを標的に殺害する。非常に優しい人物として知られていたにも関わらず、何十人もの人を殺害し、何事もないかのように暮らし続ける

 

つまり、世の中における異端の存在

それがシリアルキラーと呼ばれる人々なのでしょう。

 

私はもともと『マリリン・マンソン』というバンド(メンバー全員がシリアルキラーと女優の名前を混ぜた名前で活動している)の曲が好きなのと、スプラッタ映画、海外ホラー映画が好きなのもあって、シリアルキラーと呼ばれる人々についての知識を少しだけ持っていました。

 

昔、自分で調べたなかで、最も強烈な印象として残ったのは、「ジョン・ウェイン・ゲイシー」でした。

資産家の名士で、ボランティア活動にも積極的に参加し、周囲から”良い人”という評判を得ていた彼は、裏では少年に性的暴行を加えて殺すことを繰り返し、33人もの命を奪ったことで、世界を震撼させました。

 

彼は地元での慈善活動の一環として、ピエロに扮することが多く、それゆえに「キラー・クラウン(殺人ピエロ)」というあだ名がついています。彼自身はピエロに扮する際、「ポゴ」と名乗っていたようです。

 

彼の描くピエロの絵(自画像)は、非常に鮮やかな色使い、光が入っているのに虚ろな目、同じようなパターンの繰り返し・・・どことなく、不気味さが感じられます。

 

このたび行われているシリアルキラー展Ⅱ(前期)においても、ポスターにでかでかと彼の絵が使われています。

下はヴァニラ画廊の入り口で撮った写真ですが、もう、すでにヤバイ感じ

なんかやたら不安になります。ピエロ恐怖症でもないのに。

 

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まあこんな感じのポスターに見守られつつ、地下へ降り、展示をじっくり見てきました。

 

生でジョン・ウェイン・ゲイシー氏の絵を見た感想としては、「ただただ怖い」

 

「人を殺した人間が描いたから」という先入観は、あるかもしれません。

ですがそれ以前に、まず、何か、とにかく不安になる絵でした。

 

絵そのもののクオリティは高くも低くもない印象です。ただ、画家として活動していたわけではないにしていは、一定のクオリティが感じられ、うまい部類だと思います

 

ですが、それがより一層不気味さを煽っている感じがしました

 

私は、グロテスクな絵や不気味な絵を好んで探すことがあります。

「見ると死ぬ絵」として有名なベクシンスキーの作品などは非常に好みです。夜中にはあまり見たくありませんが。

 

ですが、そういった「不気味な絵」の何百倍も、「普通に描かれたピエロの自画像」は私に恐怖心を抱かせました

 

彼、ジョン・ウェイン・ゲイシー氏は、理性的に絵を描けている。

自画像として、非常によくできている。

これを描いた人間は、衝動でグチャグチャにものを描いたわけじゃない。

きちんと理性を持って、筆をとって、絵を描いた。

33人という途方もない人数を残酷な方法で殺しながらも、この絵を描いたんだ。

 

そう認識した途端、もうそれ以上、その絵を見ていられませんでした。

あんなに厨二心に惹かれていた、彼の絵をナマで見るという感動も、一応きちんとありましたが、それでもやっぱり、「怖い」という気持ちが勝りました。

 

 

他の展示物に関しては、まあ色々です。ほんとに色々。

本人の髪の毛や爪であったり、歯のレントゲン写真だったり、殺害現場の瓦礫の一部だったり。どういうルートでこんなものが出回るのかしら、という感じの不思議な展示物がたくさんありました。

 

また、本人の書いた手紙なども展示されていました。

やたらにかわいい丸文字の上にポップな絵柄で赤ん坊を絞め殺している絵が描かれていたり(人肉バーガーを作っていた人の手紙でした)、ビックリマークの下にニコニコマークがついていたり、個性がいい意味でも悪い意味でも感じられます。

 

当たり前なのですが、「文字とか顔写真だけ見ると、みんなと同じ、普通の人間なんだなあ」と思いました。

 

殺人鬼を礼賛、崇拝する気持ちはそこまでありませんが、彼らの独特の美学や、幼少期の経験による性格の変化、「どうやってシリアルキラーになるに至ったか」の経緯は非常に興味深いです。

 

そういう意味で、今回の展示は、彼らの心の一部を垣間見ることができたような気がして、行ってよかったなと思います。

 

後期も行けたら行きたいところです。なんてったってマンソンとラミレズがいるからな!マリリン・マンソンファン的にはそこ推さないとな!

 

 

ちなみにマリリン・マンソンに、殺人ピエロのジョン・ウェイン・ゲイシーの名前を拝借しているメンバーはいます(正確には”いました”)。マドンナ・ウェイン・ゲイシー、あだ名はもちろんポゴです。

 

www.youtube.com

 

これの2分あたりから出てくるメンバーたちの中で、犬を撫でてゆらゆらしている彼がポゴです。かわいい。

 

以上、シリアルキラー展Ⅱ前期の感想でした。

昔なつかしフラッシュホラー『UNFRIENDED』

まさかの日曜朝キッズ向け戦隊モノ番組で主要レンジャーの一人が死んだぞーーーーー!!!!!!!!!!!!

復活フラグはあるけどさすがにショックがでかい。お通夜モードの泥水です。

 

 

U-NEXTの無料視聴期間が終了したので、アマゾンプライムビデオで映画をあさる日々に戻りました。現時点でウォッチリストに100作品くらいたまってるんですけどいつ見終わるんでしょうか。

 

私は粘膜ネッチョネチョの体液グッチョグチョのグロ映画は大丈夫なのですが、ジャパニーズホラー(『リング』とか『呪怨』とかそういう系のやつ)がハチャメチャに苦手で、CM見ただけでもトイレ行けなくなるレベルです。

でも海外の幽霊系ならなんとかなるやろ!と思って今回観たのが『UNFRIENDED』(アンフレンデッド)という作品。

 

 

形式としては、主人公女性のPC画面がそのまま映画になっている感じです。

人物の動きを追うのではなく、あくまでPC画面上で起こっていく出来事を視聴者がハラハラ見守るというスタイルの作品。

主人公はMacユーザーなので、Macをお持ちの方はフルスクリーンで見るとリアルに楽しめると思います。私もMacユーザーなので、時々「動かしてないのにカーソルが動いた!!!!!」とビビるはめになりました。アホです。

 

 

あらすじはとても単純明快。

 

1年前に、誰かが投稿した動画のせいで、一人の少女がSNSでのイジメを受け、それを苦に自殺してしまう。彼女の名前はローラ。

かつてローラと親友だった主人公ブレアは、恋人とSkypeでビデオ通話をしていた。盛り上がる2人の通話へ、友人たちがグループ会話をしようとコールをかける。2人は友人たちのコールを拒否するが、なぜか繋がってしまう。そして、その中に謎のアカウントが紛れ込んでいることに気づく。

アカウント名を調べると、1年前に自殺したはずのローラだった。通話を切ろうにも切れない、ブラウザを閉じようにも閉じることができない、勝手に更新されていく皆のFaceBook、死んだ彼女のアカウントからのメッセージ、曝露されていく皆の秘密・・・

果たしてこれはローラの仕業なのか?そして、彼女がイジメを受けるに至った真相は?

 

 

とまあ、ジャンルとしてはSNSホラーですかね。(そんなジャンルあるのか?)

現代ならではのホラームービーだなと思います。

 

基本的に映画の感想はnoteの方に書いているんですが、今回はちょっと映画自体、というより「こういう恐怖感、アレを思い出すな〜」という私的な思い出を振り返る意味でこっちにかきます。あとでnoteにまとめられそうならまとめようかな。

 

映画の感想としては、「わりと良作」。

PC上の出来事をひたすらうつすだけなのに、ちゃんと怖い映画になっているSkypeのビデオ通話の、動きが遅れてモザイク状になったり、変な残像が残ったりするだけでちょっと不気味。

みんながローラ(?)によって自分の秘密を曝露されて、仲違いしていく姿も非常にリアルで、人間関係の描写がおもしろい

そして「新種のSNSホラー」でありつつも、序盤で「こんなところにいられるか!俺は通話をきるぞ!」みたいな感じでフラグを立てた人間がきっちり死ぬあたり、王道展開もおさえていて良い作品だと思います。

彼女の自殺の真相もなかなか・・・なるほどなあ、という感じでしたし。

まあそのへんはご自身でご覧になって楽しんでください。ネタバレなしで見た方がきっと楽しめると思います。

 

・・・と、映画の感想についてはここまでにしておいて。

『UNFRIENDED』は、PC上での出来事がずっとうつされているだけで、現実の視点は一切ありません。ビデオ通話でみんながそれぞれ動いてるのが見えるくらい。

 

私はこの映画を観ながら、『こ〜こはど〜この箱庭じゃ?』を思い出していました

 

これは、「とあるホームページにアクセスしたらキリ番を踏んでしまい、そこから始まる物語をひたすら眺める」という形式のホラー系フラッシュです。

びっくり要素はそこまで多くない(少なくとも音量でビビらせる系ではない)ので、怖いの平気な方は是非どうぞ。結構作り込まれてて面白いです。

 

私がこれをプレイしたのは確か中学生くらいの頃だったと思うのですが、ものすごく怖かった覚えがあります。

 

PC上で展開されていく出来事に、自分が何も参加できない。いや、より正確に言うならば、参加はしているけれど、どうすることもできず、ただ見守るしかない

物語が勝手に進行していくというのは、非常に不気味です。カーソルは動くし、ホームページのいろんなところにアクセスはできるけれど、それ以上のことができない。どこかで縛られているような感覚。

 

まさに、映画と同じ状況に近いものを感じます。

 

 

また、『UNFRIENDED』では、とある動画が主人公のブラウザ上で勝手に開かれて、それを閉じようとクリックするとまた勝手に開いて、閉じても閉じても勝手に開き、やがてブラウザが大量に開き同じ動画が流れていく・・・というシーンがあります。

完全に、一時期流行していた「ブラクラ」と同じです。 

 

Windows - ブラウザクラッシャー (You are an idiot) 作業用BGM by ひらりょう エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画

 

ブラクラの中でも有名な『You are an idiot』を例に挙げました。これは音量が大きめ系のやつなので、初見だとびっくりするかもしれないです。ご注意ください。ホラー画像要素はありません。多分。

 

今となっては、ポップアップブロック機能が追加されたことや、PCのスペック自体が高くなったことで、かつて流行したホラーフラッシュ・ブラクラの類は、かなり廃れたと思います。

 

わざわざ引っかかりに行かないかぎり、まず踏むことがないですし、踏んでも大体「ポップアップをブロックしました」と表示されておしまい。

ブラクラ系に詳しくないので、今でも引っかかると結構めんどくさいやつとかあるのかは知りませんけども・・・あるのかな?)

 

 

『UNFRIENDED』は、現代のSNSをメインテーマとして扱いつつも、昔のホラー系フラッシュ・ブラクラを想起させる”なにか”があると、個人的には感じました。多分監督はそういうところは狙ってないとは思うんですけど。

 

1時間半ほどと、手頃な時間の良作でしたので、インターネットにまだ疎い頃「怖いもの見たさ」で色んなページに飛んでいた、あのドキドキ感を楽しみたい方にはおすすめです。ただしグロいシーンは結構えげつないので注意。

 

補足:

私が昔やたらめったらにハマっていたホラー系(?)サイトをついでに少しのせておきます。

 

檸檬通りイラストレーターの中村佑介さんのホームページ。隠し部屋からゲームができます。よく溶けて死ぬ。

hoogerbrugge:おじさんがいろんなことになるシュールなGIFがたくさんあります。久々に訪れたらだいぶデザインが変わっていたけど相変わらずシュール。

イルカの夢でさようなら:わりと怖い。シュールかつホラーかつグロテスク。これに関しては何か変なところにアクセスしてしまっても私は責任とれないのでご注意ください。

井の中のサブカル、現実を見ず

タイトルを「そのうち飽きる」から「意外と飽きない」に変えたのに更新頻度がべらぼうに低い・・・

そんなブログで、果たして良いのか――!?

 

まあいいでしょう。好き勝手やる場所って決めてるので。

 

基本的にnoteの方に書き込んでるからね。

さらにシミルボンというサービスまで始めてしまったから収集つかないね。

 

shimirubon.jp

 

さあ、いったいどのサービスから飽きていくのか!?!?!?!?!!

 

まあそれはどうでもいいとして。

 

私の好きなものは、大抵ひとに「変わってるねえ」と言われるんですけども。

 

いわゆる、サブカルチャー

 

こう言ってしまうと非常にやすっぽい。一気に薄ら寒くなる感じがします。

「主流の文化に対して、少数派に支持される娯楽、趣味、文化」。

 

私はこの定義において、「サブカル女」に分類される、と思います。

 

B級ホラー映画に傾倒し、薄暗い世界観を求め、『ドグラ・マグラ』を読み、筋肉少女帯を愛聴する。なんならアーバンギャルドも聴いちゃうぜ。大槻ケンヂの小説が大好きだぜ。でも伊集院光のラジオは聴いてない。サブカル失格か?

 

でも自分にサブカルの自覚はほとんどありません。

おそらく、SNSで同じものを好きな人間を発見しやすくなって、むしろその世界が私にとっての「主流」になっているからだと思います。

 

むしろSNS(というか、Twitter)には、自分よりも断然に強烈な個性の人たちが多い。

私も私で尖った場所にいるかもしれないけれど、まわりもそれぞれ断崖絶壁で好きなものに向かって声を張り上げている。

 

こうなると、「サブカルって何?」という気持ち。

むしろ、他人と同じものがほとんど同じ、主流に乗っている状態って、珍しくない?

そっちのほうが少数なんじゃない?

 

と思ってFacebookとかにログインすると、あっ、すみません、ってなる。

そうそう、現実世界ってこういう感じだった。バリバリ働いて、好きなドラマ見て、なんか友達と集まって、スポーツとかして、うんうん、すごい、こういうのこういうの。

主流のひとたちの生き様だ〜。

 

めっちゃバカにしてるみたいな言い方ですけど、別にそういうつもりは特にないです。

無意識にバカにしてるのかもしれないけど、どちらかというとむしろ、尊敬してます。

自分にはできない生き方なので。よくできるなあ、としみじみ思います。

(まあ別にそういう生き方をしたいとまでは思ってないんですけど)

 

私は他人とのコミュニケーションがあまり好きじゃないし、めちゃくちゃ売れてる小説よりは角川ホラー文庫のグッチョラネッチョリした本が好きだし、話題の恋愛映画の宣伝が延々されてると、なんか胃のあたりがムカムカする。もう『某の名は。』はいいんだよ!MADMAX上映しろ!!!

 

多分、「話題のもの」から遠ざかりたい気持ちがあるんでしょう。

 

そういえば、母親からドラマ『逃げ恥』を勧められたときも、私は逃げました。

話題合わせのために、一回は見ました。「面白い」と思いました。話が面白いし、テンポもいいし、主演のガッキーがめちゃくちゃかわいい。

でも、そう、面白いとは思ったけど、それ以上には興味が出なかった。これ毎週見るなら、なんか意味わかんないクソ映画とか、胸のでかい金髪のネーチャンがチェーンソーぶんまわすB級スプラッタとか探したい

 

どんなに面白くても、よその人がたくさん見ていると、興味がわかなくなる。

「いつの間にかマイノリティになっていた」というより、おそらく「マイノリティでないと落ち着かない」のだろうと思います。

 

おもしろいんだ、名作なんだ。それなら、それを見ているたくさんの人達に感想を任せて、自分は自分の求める世界観のものを突き詰めていたい

 

でも今はキュウレンジャーにハマってるし、これはひょっとして流行を追えてるんじゃないですか?

あとは私が5才児だったら完璧だったな!

 

そのうち私の好きなもので、人に面と向かって勧めづらい作品、観る人を選びそうな作品をちょいちょい紹介できればと思います。

 

現実逃避サブカルマン、泥水でした。

 

今まで何回「殺す」って使った?

不穏なタイトルではじまります。

 

みなさんは「殺す」という言葉を今までに何回使いましたか?

文章でも、口にした言葉でも、全てカウント、できますか?

 

一度も使ったことはない、という人は、なかなかいないと思います。
もし一度も使っていない人がいらっしゃるなら、それは相当にお育ちが良いか、もしくは怒りの感情を持ち合わせていないか、なんにせよ珍しいお方だと思います(良い意味で)。

 

現代では、冗談、じゃれ合いの範囲内に、「殺す」という言葉はごく自然に入っています。
仲がいい相手に「ふざけるなよ」という意味合いで「おまえ殺すぞ」と言う人もいますし、憎い相手に対して「殺してえ」とぼやく人も、最近は「めんどくさい仕事を済ませた」意味で「仕事殺した」と表現する人なんかもいますね。

 

私は、もう何回「殺す」という言葉を使ったか覚えていません。(こう書くと、厨二病っぽさがすごいですね)

 

それは、じゃれ合いの延長線の「お前殺すぞふざけんなよ(笑)」であったり、めんどくさいタスクに対しての「殺してえ〜」という暴力的表現であったり、本来の意味での「殺す」とは意味合いが異なるものがほとんどです。

 

ですが、本来の意味合いで、言葉を使ってしまったことも、あります。もちろん、実行には移していません。じゃないとブログなんて書いてられませんからね。

 

受け継がれる暴力

なぜこんな話を突然したかといいますと、「泥水ってわりと物騒なこと言うよね」と、同居人に言われたためです。

 

そうかな?そんなに物騒な発言多いかな?と思って改めて振り返ると、なるほど確かに、私は口が悪い。そのことに気づきました。

 

「しかも、結構実感がこもってるよね」とも言われました。つまり、マジのトーンで物騒な発言をしているということです。これも、言われて初めて、「確かにそうかもしれない」と思いました。

 

何故こんな口が悪いんだ?と考えて、思い当たることがありました。

 

それは、父方の祖父の影響です。

 

以前書いたnoteでも少し触れていますが、父方の祖父はわりと暴力的な言葉遣いが目立つ人です。電話口で「殺すからな」と言われたことがありますし、酔うと「バカヤロー」などの暴言も増えます。そして、それは私の父にも受け継がれています。

 

父は、私に対して暴力的な態度をとることはほとんどないですが、「お前が人を殺したら俺がお前を殺すからな」という道徳的教育(?)や、「学校でいじめられたら俺がそいつを殺してやるから心配するな」など、なかなか積極的に殺しに行く発想を持っているようでした。もちろん、父が人を本気で殺すことはないだろうと思っていますが。

 

しかし、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という考えが、私の父方の親戚、少なくとも祖父や父親には根付いているような気がしてなりません。

 

そして、例外なく、私もまた、その考えを受け継いでいるように思います。

 

私の場合、背が低く、体格もあまり良くなく、性別も女で、眼鏡をかけていて、世間一般的に言うと「弱っちい」部類の人間に見えるのだと思います。
実際、平均的身長の成人男性と取っ組み合えば、一瞬でマウントを取られて終わりでしょう。

 

ですが、私は、過激な発想、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という思想を受け継いでしまった人間です。

 

なので、他人に屈するような目に合わされたり、ナメられた態度をとられるたび、「そっちがその気なら私はお前を殺す、全てを失ってでも必ず殺す」と心の中で念じていました。こう書くと、我ながら物騒だなと感じます。

これが、おそらく私の、「マジなトーンで物騒な言葉を使う」原因なんだろうなと思います。あーあー。

 

実際のところ、人を殺すというのは罪です。その人を大事にする全てのつながりを壊し、悲しませることになります。そして、私にも大事にしたいつながりがあります。私が他人を殺せば、きっと私を大事に思ってくれている人に迷惑をかけるでしょう。

 

それでも、私は「究極的に追い詰められたら殺すぞ」というスタンスをやめることができません。

やめる気がないのか、もうやめられなくなってしまっているのか、自分でもわかりません。正直、非常に疲れます。自分でも何と戦っているのかわからないときがあります。

 

思想は受け継がれるというのは絶対ではないと思っていますが、20数年で刷り込まれたものは簡単には変えられないのかもしれませんね。

とはいえ、人を他意なく傷つけるような真似はしたくないので、自分の中の過激さは、うまくコントロールできるようになりたいものです。

 

最近ちょっと精神がアレな、泥水でした。

 

ほんとにどうでもいい補足:

「殺す」といえば、西澤保彦先生の『殺す』という小説、タイトルが直球で好きです。中身も最高。改題前は「猟死の果て」だったみたいですが、この方がしっくりきます。