意外と飽きない

闘病無職オタクマンが好きに生きてます

髪を剃る

本日、ハローワークで済ませるべき手続きを済ませました。

仕事をやめて、事務的な手続きは大体これで終わり、なのでそろそろいいか、と。

 

帰り道でバリカンを買いました。

 

とりあえず、こめかみ付近を剃りこみました。上の方は長いので、一瞬みただけではわからないようになってます。普通に見えるけれど、よく見ると中身が坊主、がコンセプトです。

さわるとじょりじょりします。なつかしい感覚です。

 

実は私は、以前も坊主にしていたことがありました。

 

大学生のときに、バイト先の、顔中ピアスでピンク色の髪をした店長がキッチンで材料を切りながら「マリリン・マンソン好きなんだ〜?髪型似せてみる?俺、バリカン持ってるからやってあげるよ〜」と朗らかに言いました。私は、「いいんすか!!!ヤッター!!!!」と大喜びで頼みました。

 

その頃の写真は携帯のデータが吹っ飛んでしまったために残っていないのですが、長髪(ポニーテールができる程度)の頭のうちの、右半分を坊主にして、さらに店長の謎の技術で蜘蛛の巣の模様を剃り込みでいれてもらいました。

 

髪をおろせば普通に見える。

ポニーテールにすると一気に坊主が丸見えになって、さらに蜘蛛の巣がむき出しになる。

 

帰宅した私を観て、母と父は仰天しました。でも、怒りはしませんでした。

いや、若干怒っていたかもしれませんが、なんとなく「もうやっちゃったもんはしゃーないわ」みたいな感じでした。というか驚きすぎて怒れなかったのかもしれません。

髪をおろせば意外と普通に見えるところも、妥協できるポイントだったのでしょうか。

一応母には前もって伝えておいたのですが、「ここまでだとは想定してなかった」と言われました。まあそりゃそうだね。

 

その状態で、女性のほぼいない(理工学系しかないため)男子校のような大学へ通っていました。

 

ポニーテールに髪をくくって、蜘蛛の巣を右の頭にはりつけて、通っていました。

 

私の頭を見た友人は、爆笑したり、驚いたりしたあとで、「触らせて!」と面白がってじょりじょりと触ってきました。

逆に、知らない人たちは、なんとなくいつも以上に遠ざかっていくように感じました。気の所為かもしれないですけど。

 

私は「マリリン・マンソンヘアは威嚇になるんだな」と感じ入りました。

 

・・・

 

小学生の頃、私は髪をのばしていました。

 

それは、母の希望でした。

母は私の髪を編み込んだり、いろいろな髪ゴムを買ってきては飾り付けたり、とにかく毎朝、櫛で丁寧にとかしては、こった髪型に結んでから、小学校へ送り出していました。

私は私で、「髪はくくってあって運動の邪魔にならなければなんでも良い」という考えだったので、母の好きにさせていました。

 

友達はときどき、私の髪型を「おもしろい」「かわいい」と褒めてくれました。私は褒められるたびに「母の手柄だなあ」と、むずがゆくも嬉しい気持ちでした。

 

その後、中学生になり、「もう母にこった髪型にしてもらうのは年齢的にも卒業だろう」と、髪いじりを拒否しました。ポニーテールにするだけでいい、と。

 

母は寂しそうにしていました。

 

それで一度、髪を短く、肩くらいまでになるように切ったのですが、髪質的に長くないと重さがなくて駄目なのか、まるで金太郎のようなボサッと広がった髪型になりました。

友人にあまりに金太郎金太郎と言われるので、結局伸ばし戻して、ポニーテールに戻すことにしました。まあ結果的には金太郎から桃太郎に呼び名が変わっただけでしたけども。

 

そして大学生になり、マンソンヘア(半坊主)になり、坊主部分の髪がのびてきて、研究室に配属するために「普通の髪型」が求められる時期になった頃。

 

のびた坊主部分の髪にあわせて、長い方を切りました。

人生ではじめての本格的なショートカットでした。とても頭が軽くて、楽で、シャワーをあびてもすぐ乾いて、なんて便利なんだと感動しました。

 

母は「ショート、思った以上に似合うね」と言ってくれました。私も、長いよりは短い方が自分には合っているような気がしました。

 

・・・

 

私の小さい頃の、やわらかくて茶色い、長い髪の毛は、もうありません。

母が私の髪の毛をいじることも、もうきっと、ないでしょう。

 

さっき、LINEで、母に剃り込んだ髪の写真を送りました。

どんな反応がくるかわかりません。また剃ったの?と呆れられるか、あんた坊主ほんと好きねえ、と笑われるか。

 

私の髪はもう短くてチクチクしていて、結ぶこともできない長さですが、それでもまだ、私の心のどこかに、髪を編み込まれながら「そこ痛い痛い!ひっぱんないで!」「ちょっと我慢して、もうすぐだから」と、母と無邪気にじゃれあっている小学生の自分がいるのを感じます。

 

母の手を離れていくことへの罪悪感が、あります。

母をひとり実家に残していくことの申し訳無さが、あります。

 

それでも私は、自分の幸せを追求することを決めたので、髪を短くしてゆくのです。

 

はては坊主かモヒカンか。泥水でした。