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映画版『それいけ!アンパンマン』シリーズ 〜他人のために生きること〜

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(※ブログ内の画像は全て自分で描いてます)

 

「何のために生まれて 何をして生きるのか」

「こたえられないなんて そんなのはイヤだ!」

 

これは、有名な曲の一節です。はい、皆さんご存知アンパンマンです。

散々言われていることだと思うのですが、この『アンパンマンのマーチ』、児童向けとしてはかなり重い言葉が散りばめられています。

 上記の一節以外にも、「愛と勇気だけがともだちさ」「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は 行くんだ 微笑んで」・・・わりと挙げだしたらキリないです。

 

この曲は、アンパンマン、つまり「他人のために生きるヒーロー」の在り方を表していると私は解釈しています。これは、アンパンマンの映画をいくつか観ることで、感じたことです。

 

なんでまた突然アンパンマンの話をしはじめたかというと、U-NEXTがきっかけです。
せっかく登録したんだし、『チリンの鈴』以外も色々観てみよう、と思って見つけたのが、映画版『それいけ!アンパンマン』シリーズでした。

 

 

完全にやなせたかし作品にとりつかれてますね。『チリンの鈴』の罪は重い。

映画『チリンの鈴』〜狼にも羊にもなれなかった獣の行く末〜 - そのうち飽きる

 

なんとアンパンマンの映画、短編を抜いても30作品近くあります。歴史が長いアニメではありますが、ここまであるとは知りませんでした。

最近私が観たのは『勇気の花がひらくとき』『いのちの星のドーリィ』『ゴミラの星』の3作品ですが、この中から、特に『いのちの星のドーリィ』について重点的に話をしたいと思います。

 

トーリーの紹介

アンパンマンたちの住む町は、かつて何もない不毛の土地だった。しかし、そこへ「いのちのほし」が降り注ぎ、緑と水の豊かな場所となった。そこで、「いのちのほし」に感謝するために住人たちは祭をひらくことにし、今年もその準備が行われていた。


祭の日が近づくなか、パトロール中のアンパンマンは、海で漂っていた人形を発見し、パン工場へ持ち帰る。その夜、「いのちのほし」が降りそそぎ、その中のひとつが偶然人形に宿る。人形だった彼女はドーリィと名乗り、初めての命を得てはしゃぎまわり、パン工場の皆はドーリィを優しく世話する。

しかし、命を得たドーリィはわがまま放題。学校のみんなにけむたがられても、「せっかく命をもらったんだから、自分のしたいことだけをして楽しく生きるの。それの何がおかしいの?」と言い放つドーリィ。

 

あるときドーリィは、バイキンマンに誘拐される。その後アンパンマンに助けられた彼女は、彼に「なんのために生きているの?」と問う。アンパンマンは「ぼくも最初はわからなかった。でも今は、困っている人を助けるために生きているよ」と答える。ドーリィは「そんなのはカッコつけだわ」と一蹴する。

実は、ドーリィは人形だった頃、ひどい持ち主に痛めつけられ、そして海に捨てられてしまったのである。そのために、「命をもらったら、絶対に好きなことだけして生きていくんだ」と決めていた彼女は、アンパンマンの言うことが理解できなかった。

 

ドーリィの胸の中の「いのちのほし」はだんだんと輝きを失っていく。「自分のしたいことをして、楽しんでいるはずなのに、なぜ?」と戸惑うドーリィ。自分と同じく「いのちのほし」によって生まれ、ほしがきちんと体に溶け込んでいるというアンパンマンと、ほしがなかなか溶け込まない自分は何が違うのか、答えがわからず苦しむドーリィ。


そして「いのちのほし」に感謝をする星祭りの日に現れたバイキンマンのメカ、スーパーカビダンダンの力により、みんなはカビに閉じ込められてしまい、さらに、アンパンマンはドーリィをかばって「いのちのほし」を失ってしまう。アンパンマンを助けるには、「いのちのほし」が必要だ。そこでドーリィは、彼女の「いのちのほし」をアンパンマンのために使うことを決意する。

 

正しい「いのち」の使い方

 初めの頃のドーリィは、「自分だけが楽しければいい」と考えています。これは、彼女が「誰かのために生きることで得られる喜び」を知らないためです。人形だった頃の彼女は、本当にひどい目に遭い続けていたのでしょう。

ですが、彼女はパン工場のみんなの優しさや、アンパンマンの暖かい心に触れることで、徐々にですが「他人のために生きること」を理解していきます。ただ、それでもその生き方を受け入れることが、なかなかできない。

 

そんな彼女を変えたのは、アンパンマンの行動です。

散々ワガママを言って困らせたのに、アンパンマンはドーリィをスーパーカビダンダンにやられてしまわないように、その背にかばいつづけます。「もうやめて!私なんかのために頑張るのはやめて!逃げて!」と叫ぶドーリィに、アンパンマンは振り返り、優しく微笑んで、そのまま石になってしまうのです。

 

「困っている人を助けるのがぼくの生きている理由だ」というのが、カッコつけでもなんでもなく、アンパンマンの本心であることが、この瞬間、行動で示された。これがドーリィを変えるのです。

 

アンパンマン、あたし、やっとわかった。」

輝き出した「いのちのほし」を自らアンパンマンに差し出しながら、ドーリィはすっきりとした顔で言います。

「あたしのいのちのほしは、あたしのこころは、アンパンマンのなかで、一緒に困っている人を助けていくの。ずっと、いつまでも、ずっと!」

 

・・・ここのくだりは、本当に感動モノです。是非、観て欲しい名シーンです。

 

 

結局のところ、「自分だけが楽しい」という生き方は、長続きしないのでしょう。

誰かのために何かができる。それが真の喜びであり、在るべき生き方だと、この映画は言いたいんじゃないかな〜、と私は感じました。

アンパンマンほどの生き方はなかなか難易度が高いですが、心に留めておきたいところです。

 

 

立て続けにアンパンマンの映画を観てみましたが、やなせたかし作品はさすが重みが違いますね。これ、一応終盤でドーリィは無事助かる(ネタバレ防止のための申し訳程度の反転要素)んですけども、そのくだりがなかったら『チリンの鈴』レベルで子供のトラウマになるんじゃないかと思います。

  

今回は紹介しませんでしたが、『ゴミラの星』も「自己犠牲」がテーマのひとつになっています。巨大怪獣映画としても楽しめる、非常に良作です。

また、『勇気の花がひらくとき』は、アンパンマンにしては珍しい恋愛要素があるのと、ロールパンナちゃんの活躍がメチャクチャかっこいいので、これもまたオススメです。

 

noteにあらすじ(というかほぼ本筋)と雑ですが感想を投げているので、よろしければそちらをご覧ください。 

note.mu

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よ〜し次はどのアンパンマン作品を見ようかな!!!!!

また面白い映画があったらダイレクトマーケティングしにきます。ではでは。