意外と飽きない

闘病無職オタクマンが好きに生きてます

昔なつかしフラッシュホラー『UNFRIENDED』

まさかの日曜朝キッズ向け戦隊モノ番組で主要レンジャーの一人が死んだぞーーーーー!!!!!!!!!!!!

復活フラグはあるけどさすがにショックがでかい。お通夜モードの泥水です。

 

 

U-NEXTの無料視聴期間が終了したので、アマゾンプライムビデオで映画をあさる日々に戻りました。現時点でウォッチリストに100作品くらいたまってるんですけどいつ見終わるんでしょうか。

 

私は粘膜ネッチョネチョの体液グッチョグチョのグロ映画は大丈夫なのですが、ジャパニーズホラー(『リング』とか『呪怨』とかそういう系のやつ)がハチャメチャに苦手で、CM見ただけでもトイレ行けなくなるレベルです。

でも海外の幽霊系ならなんとかなるやろ!と思って今回観たのが『UNFRIENDED』(アンフレンデッド)という作品。

 

 

形式としては、主人公女性のPC画面がそのまま映画になっている感じです。

人物の動きを追うのではなく、あくまでPC画面上で起こっていく出来事を視聴者がハラハラ見守るというスタイルの作品。

主人公はMacユーザーなので、Macをお持ちの方はフルスクリーンで見るとリアルに楽しめると思います。私もMacユーザーなので、時々「動かしてないのにカーソルが動いた!!!!!」とビビるはめになりました。アホです。

 

 

あらすじはとても単純明快。

 

1年前に、誰かが投稿した動画のせいで、一人の少女がSNSでのイジメを受け、それを苦に自殺してしまう。彼女の名前はローラ。

かつてローラと親友だった主人公ブレアは、恋人とSkypeでビデオ通話をしていた。盛り上がる2人の通話へ、友人たちがグループ会話をしようとコールをかける。2人は友人たちのコールを拒否するが、なぜか繋がってしまう。そして、その中に謎のアカウントが紛れ込んでいることに気づく。

アカウント名を調べると、1年前に自殺したはずのローラだった。通話を切ろうにも切れない、ブラウザを閉じようにも閉じることができない、勝手に更新されていく皆のFaceBook、死んだ彼女のアカウントからのメッセージ、曝露されていく皆の秘密・・・

果たしてこれはローラの仕業なのか?そして、彼女がイジメを受けるに至った真相は?

 

 

とまあ、ジャンルとしてはSNSホラーですかね。(そんなジャンルあるのか?)

現代ならではのホラームービーだなと思います。

 

基本的に映画の感想はnoteの方に書いているんですが、今回はちょっと映画自体、というより「こういう恐怖感、アレを思い出すな〜」という私的な思い出を振り返る意味でこっちにかきます。あとでnoteにまとめられそうならまとめようかな。

 

映画の感想としては、「わりと良作」。

PC上の出来事をひたすらうつすだけなのに、ちゃんと怖い映画になっているSkypeのビデオ通話の、動きが遅れてモザイク状になったり、変な残像が残ったりするだけでちょっと不気味。

みんながローラ(?)によって自分の秘密を曝露されて、仲違いしていく姿も非常にリアルで、人間関係の描写がおもしろい

そして「新種のSNSホラー」でありつつも、序盤で「こんなところにいられるか!俺は通話をきるぞ!」みたいな感じでフラグを立てた人間がきっちり死ぬあたり、王道展開もおさえていて良い作品だと思います。

彼女の自殺の真相もなかなか・・・なるほどなあ、という感じでしたし。

まあそのへんはご自身でご覧になって楽しんでください。ネタバレなしで見た方がきっと楽しめると思います。

 

・・・と、映画の感想についてはここまでにしておいて。

『UNFRIENDED』は、PC上での出来事がずっとうつされているだけで、現実の視点は一切ありません。ビデオ通話でみんながそれぞれ動いてるのが見えるくらい。

 

私はこの映画を観ながら、『こ〜こはど〜この箱庭じゃ?』を思い出していました

 

これは、「とあるホームページにアクセスしたらキリ番を踏んでしまい、そこから始まる物語をひたすら眺める」という形式のホラー系フラッシュです。

びっくり要素はそこまで多くない(少なくとも音量でビビらせる系ではない)ので、怖いの平気な方は是非どうぞ。結構作り込まれてて面白いです。

 

私がこれをプレイしたのは確か中学生くらいの頃だったと思うのですが、ものすごく怖かった覚えがあります。

 

PC上で展開されていく出来事に、自分が何も参加できない。いや、より正確に言うならば、参加はしているけれど、どうすることもできず、ただ見守るしかない

物語が勝手に進行していくというのは、非常に不気味です。カーソルは動くし、ホームページのいろんなところにアクセスはできるけれど、それ以上のことができない。どこかで縛られているような感覚。

 

まさに、映画と同じ状況に近いものを感じます。

 

 

また、『UNFRIENDED』では、とある動画が主人公のブラウザ上で勝手に開かれて、それを閉じようとクリックするとまた勝手に開いて、閉じても閉じても勝手に開き、やがてブラウザが大量に開き同じ動画が流れていく・・・というシーンがあります。

完全に、一時期流行していた「ブラクラ」と同じです。 

 

Windows - ブラウザクラッシャー (You are an idiot) 作業用BGM by ひらりょう エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画

 

ブラクラの中でも有名な『You are an idiot』を例に挙げました。これは音量が大きめ系のやつなので、初見だとびっくりするかもしれないです。ご注意ください。ホラー画像要素はありません。多分。

 

今となっては、ポップアップブロック機能が追加されたことや、PCのスペック自体が高くなったことで、かつて流行したホラーフラッシュ・ブラクラの類は、かなり廃れたと思います。

 

わざわざ引っかかりに行かないかぎり、まず踏むことがないですし、踏んでも大体「ポップアップをブロックしました」と表示されておしまい。

ブラクラ系に詳しくないので、今でも引っかかると結構めんどくさいやつとかあるのかは知りませんけども・・・あるのかな?)

 

 

『UNFRIENDED』は、現代のSNSをメインテーマとして扱いつつも、昔のホラー系フラッシュ・ブラクラを想起させる”なにか”があると、個人的には感じました。多分監督はそういうところは狙ってないとは思うんですけど。

 

1時間半ほどと、手頃な時間の良作でしたので、インターネットにまだ疎い頃「怖いもの見たさ」で色んなページに飛んでいた、あのドキドキ感を楽しみたい方にはおすすめです。ただしグロいシーンは結構えげつないので注意。

 

補足:

私が昔やたらめったらにハマっていたホラー系(?)サイトをついでに少しのせておきます。

 

檸檬通りイラストレーターの中村佑介さんのホームページ。隠し部屋からゲームができます。よく溶けて死ぬ。

hoogerbrugge:おじさんがいろんなことになるシュールなGIFがたくさんあります。久々に訪れたらだいぶデザインが変わっていたけど相変わらずシュール。

イルカの夢でさようなら:わりと怖い。シュールかつホラーかつグロテスク。これに関しては何か変なところにアクセスしてしまっても私は責任とれないのでご注意ください。

井の中のサブカル、現実を見ず

タイトルを「そのうち飽きる」から「意外と飽きない」に変えたのに更新頻度がべらぼうに低い・・・

そんなブログで、果たして良いのか――!?

 

まあいいでしょう。好き勝手やる場所って決めてるので。

 

基本的にnoteの方に書き込んでるからね。

さらにシミルボンというサービスまで始めてしまったから収集つかないね。

 

shimirubon.jp

 

さあ、いったいどのサービスから飽きていくのか!?!?!?!?!!

 

まあそれはどうでもいいとして。

 

私の好きなものは、大抵ひとに「変わってるねえ」と言われるんですけども。

 

いわゆる、サブカルチャー

 

こう言ってしまうと非常にやすっぽい。一気に薄ら寒くなる感じがします。

「主流の文化に対して、少数派に支持される娯楽、趣味、文化」。

 

私はこの定義において、「サブカル女」に分類される、と思います。

 

B級ホラー映画に傾倒し、薄暗い世界観を求め、『ドグラ・マグラ』を読み、筋肉少女帯を愛聴する。なんならアーバンギャルドも聴いちゃうぜ。大槻ケンヂの小説が大好きだぜ。でも伊集院光のラジオは聴いてない。サブカル失格か?

 

でも自分にサブカルの自覚はほとんどありません。

おそらく、SNSで同じものを好きな人間を発見しやすくなって、むしろその世界が私にとっての「主流」になっているからだと思います。

 

むしろSNS(というか、Twitter)には、自分よりも断然に強烈な個性の人たちが多い。

私も私で尖った場所にいるかもしれないけれど、まわりもそれぞれ断崖絶壁で好きなものに向かって声を張り上げている。

 

こうなると、「サブカルって何?」という気持ち。

むしろ、他人と同じものがほとんど同じ、主流に乗っている状態って、珍しくない?

そっちのほうが少数なんじゃない?

 

と思ってFacebookとかにログインすると、あっ、すみません、ってなる。

そうそう、現実世界ってこういう感じだった。バリバリ働いて、好きなドラマ見て、なんか友達と集まって、スポーツとかして、うんうん、すごい、こういうのこういうの。

主流のひとたちの生き様だ〜。

 

めっちゃバカにしてるみたいな言い方ですけど、別にそういうつもりは特にないです。

無意識にバカにしてるのかもしれないけど、どちらかというとむしろ、尊敬してます。

自分にはできない生き方なので。よくできるなあ、としみじみ思います。

(まあ別にそういう生き方をしたいとまでは思ってないんですけど)

 

私は他人とのコミュニケーションがあまり好きじゃないし、めちゃくちゃ売れてる小説よりは角川ホラー文庫のグッチョラネッチョリした本が好きだし、話題の恋愛映画の宣伝が延々されてると、なんか胃のあたりがムカムカする。もう『某の名は。』はいいんだよ!MADMAX上映しろ!!!

 

多分、「話題のもの」から遠ざかりたい気持ちがあるんでしょう。

 

そういえば、母親からドラマ『逃げ恥』を勧められたときも、私は逃げました。

話題合わせのために、一回は見ました。「面白い」と思いました。話が面白いし、テンポもいいし、主演のガッキーがめちゃくちゃかわいい。

でも、そう、面白いとは思ったけど、それ以上には興味が出なかった。これ毎週見るなら、なんか意味わかんないクソ映画とか、胸のでかい金髪のネーチャンがチェーンソーぶんまわすB級スプラッタとか探したい

 

どんなに面白くても、よその人がたくさん見ていると、興味がわかなくなる。

「いつの間にかマイノリティになっていた」というより、おそらく「マイノリティでないと落ち着かない」のだろうと思います。

 

おもしろいんだ、名作なんだ。それなら、それを見ているたくさんの人達に感想を任せて、自分は自分の求める世界観のものを突き詰めていたい

 

でも今はキュウレンジャーにハマってるし、これはひょっとして流行を追えてるんじゃないですか?

あとは私が5才児だったら完璧だったな!

 

そのうち私の好きなもので、人に面と向かって勧めづらい作品、観る人を選びそうな作品をちょいちょい紹介できればと思います。

 

現実逃避サブカルマン、泥水でした。

 

今まで何回「殺す」って使った?

不穏なタイトルではじまります。

 

みなさんは「殺す」という言葉を今までに何回使いましたか?

文章でも、口にした言葉でも、全てカウント、できますか?

 

一度も使ったことはない、という人は、なかなかいないと思います。
もし一度も使っていない人がいらっしゃるなら、それは相当にお育ちが良いか、もしくは怒りの感情を持ち合わせていないか、なんにせよ珍しいお方だと思います(良い意味で)。

 

現代では、冗談、じゃれ合いの範囲内に、「殺す」という言葉はごく自然に入っています。
仲がいい相手に「ふざけるなよ」という意味合いで「おまえ殺すぞ」と言う人もいますし、憎い相手に対して「殺してえ」とぼやく人も、最近は「めんどくさい仕事を済ませた」意味で「仕事殺した」と表現する人なんかもいますね。

 

私は、もう何回「殺す」という言葉を使ったか覚えていません。(こう書くと、厨二病っぽさがすごいですね)

 

それは、じゃれ合いの延長線の「お前殺すぞふざけんなよ(笑)」であったり、めんどくさいタスクに対しての「殺してえ〜」という暴力的表現であったり、本来の意味での「殺す」とは意味合いが異なるものがほとんどです。

 

ですが、本来の意味合いで、言葉を使ってしまったことも、あります。もちろん、実行には移していません。じゃないとブログなんて書いてられませんからね。

 

受け継がれる暴力

なぜこんな話を突然したかといいますと、「泥水ってわりと物騒なこと言うよね」と、同居人に言われたためです。

 

そうかな?そんなに物騒な発言多いかな?と思って改めて振り返ると、なるほど確かに、私は口が悪い。そのことに気づきました。

 

「しかも、結構実感がこもってるよね」とも言われました。つまり、マジのトーンで物騒な発言をしているということです。これも、言われて初めて、「確かにそうかもしれない」と思いました。

 

何故こんな口が悪いんだ?と考えて、思い当たることがありました。

 

それは、父方の祖父の影響です。

 

以前書いたnoteでも少し触れていますが、父方の祖父はわりと暴力的な言葉遣いが目立つ人です。電話口で「殺すからな」と言われたことがありますし、酔うと「バカヤロー」などの暴言も増えます。そして、それは私の父にも受け継がれています。

 

父は、私に対して暴力的な態度をとることはほとんどないですが、「お前が人を殺したら俺がお前を殺すからな」という道徳的教育(?)や、「学校でいじめられたら俺がそいつを殺してやるから心配するな」など、なかなか積極的に殺しに行く発想を持っているようでした。もちろん、父が人を本気で殺すことはないだろうと思っていますが。

 

しかし、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という考えが、私の父方の親戚、少なくとも祖父や父親には根付いているような気がしてなりません。

 

そして、例外なく、私もまた、その考えを受け継いでいるように思います。

 

私の場合、背が低く、体格もあまり良くなく、性別も女で、眼鏡をかけていて、世間一般的に言うと「弱っちい」部類の人間に見えるのだと思います。
実際、平均的身長の成人男性と取っ組み合えば、一瞬でマウントを取られて終わりでしょう。

 

ですが、私は、過激な発想、「究極的な対抗手段は相手を殺すことである」という思想を受け継いでしまった人間です。

 

なので、他人に屈するような目に合わされたり、ナメられた態度をとられるたび、「そっちがその気なら私はお前を殺す、全てを失ってでも必ず殺す」と心の中で念じていました。こう書くと、我ながら物騒だなと感じます。

これが、おそらく私の、「マジなトーンで物騒な言葉を使う」原因なんだろうなと思います。あーあー。

 

実際のところ、人を殺すというのは罪です。その人を大事にする全てのつながりを壊し、悲しませることになります。そして、私にも大事にしたいつながりがあります。私が他人を殺せば、きっと私を大事に思ってくれている人に迷惑をかけるでしょう。

 

それでも、私は「究極的に追い詰められたら殺すぞ」というスタンスをやめることができません。

やめる気がないのか、もうやめられなくなってしまっているのか、自分でもわかりません。正直、非常に疲れます。自分でも何と戦っているのかわからないときがあります。

 

思想は受け継がれるというのは絶対ではないと思っていますが、20数年で刷り込まれたものは簡単には変えられないのかもしれませんね。

とはいえ、人を他意なく傷つけるような真似はしたくないので、自分の中の過激さは、うまくコントロールできるようになりたいものです。

 

最近ちょっと精神がアレな、泥水でした。

 

ほんとにどうでもいい補足:

「殺す」といえば、西澤保彦先生の『殺す』という小説、タイトルが直球で好きです。中身も最高。改題前は「猟死の果て」だったみたいですが、この方がしっくりきます。

「怪物」の定義 〜理解できない存在の魅力〜

今回の記事はちょっとエグい要素が含まれます。

グロ描写などがお嫌いな方は読むのをお控えください。

 

 

私は、「怪物」が好きです。

 

ここでは、単にクリーチャー的な意味合い、いわゆるゾンビ・狼男・ドラキュラなどではなく、「自分と同じ”人間”だけれど思考が理解できない存在」という意味での「怪物」を指しています。

(クリーチャー系の怪物は大体”萌え”です。好きですが、好きの種類が異なります)

 

同じ人間でありながら、思考や行動が理解できない存在。

 

例を挙げると、

・『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士

・『ジョジョの奇妙な冒険 第四部』の吉良吉影

・『ムカデ人間』のヨーゼフ・ハイター博士

などが、私のいう「怪物」に該当します。

 

レクター博士人間の肉を好んで食べ吉良吉影は美しい女性の手に執着して女性を殺しては手だけを持ち歩き、ハイター博士は人間の口と肛門をつなげてムカデ人間を作ることを試みます。

いずれも、現実的には考えられない、一般的には受け入れがたい思考と言えると思います。

 

ところで、最近、私は『ハンニバル・ライジング』を観ました。

例によって例のごとくU-NEXTです。観たいやつ結構あるのありがてえ〜!

 

 

ハンニバル・ライジング』は、レクター博士の出生について描いたもので、「溺愛していた妹を目の前で殺され食べられた(また、自身も妹を知らずに食べてしまっていた)」ことが、彼をカニバリズムに目覚めさせた、という内容でした。

 

私は、それを観て、ひどくがっかりしました

映画が不出来だったというわけではありません。むしろ、映画としては良作で、テンポも残酷な殺しの演出も素晴らしいものでした。

 

私ががっかりしたのは、レクター博士という怪物が生まれた理由がわかってしまい、彼も結局のところ、もともとは普通の人間であった」ことに気付かされたためです。

(ただ、ハンニバルシリーズは『羊たちの沈黙』『ハンニバル・ライジング』しか観ていないので、他のシリーズを見れば考えが変わる可能性もありますが・・・)

 

 

私は、よく「殺人鬼」「マッドサイエンティストを描いた映画を好んで観ています。

 

それは、「怪物」を求めているからです。同じ人間でありながら常軌を逸した思考をし、猟奇的な行為に及ぶキャラクターがメインとなる作品。そうなると、だいたい殺人鬼か、マッドサイエンティストの映画にたどり着きます。

ですが、そういった映画に出てくるキャラクターの全てが、私の求める「怪物」であるとはかぎりません。

 

これまで観た映画に出て来た「殺人鬼」や「マッドサイエンティスト」には、だいたい共通点があります。

「幼少期に受けた虐待」「幼少期に経験した恐ろしい出来事」「異常な家庭環境」が原因で異常な行動をとる、という点です。

もちろん全部が全部ではないんですが、幼少期の虐待(特に性的な虐待)がきっかけで殺人鬼になるパターンは非常に多く見受けられる気がします。

 

映画として、「理由なき殺人鬼」「理由なき狂気」というのは、描きにくいのでしょう。確かに、理由なく人を殺すだけの犯人より、何らかの悲しい背景、ヒロイックな理由があって異常な行動に走るキャラクターの方が、魅力的にうつりやすく、観客に感情移入させやすそうです。

 

ですが、私は、「怪物」が好きなのです。

どんなに恐ろしい行動を起こす「怪物」であっても、「怪物となった理由」がわかるように提示されてしまえば、それはもはや「怪物」ではない。「自分のような一般人にも理解できる人間」だ。

これが、私の持論です。

 

かといって、じゃあ単純に人殺しが好きな殺人鬼なら良いのか?理由なく初めから狂っていればお前の大好物か?と言われると、それもまたちょっと違う気がします。我ながらめんどくさいんですけども。

 

私が言いたいのは、「怪物」になった背景を描きすぎないで欲しいということです。

 

何か過去にあった、と匂わせる描写だけで良いのです。

母親の教育が厳しかった、とか、何度も様々な手術をして魅力に取り憑かれた、とか。

 

そういうのを、出すんなら本当にサラッと。2、3回観てようやく理解できるくらい、ちゃんと観ていないと気づかないくらいサラッと。もしくは抽象的な感じで、直接的じゃない描写にするとか。

 

あまりにヒロイックに背景を描かれてしまうと、感情移入してしまって、せっかくの「理解できない人間への恐怖」がなくなってしまうんです。

だから、「怪物」を描くのならば、できるだけ「理解できない存在」のまま描いてほしいのです。

 

というわけで、私は「怪物」の例として、「ハンニバル・レクター博士」「吉良吉影」「ヨーゼフ・ハイター博士」を挙げました。

 

羊たちの沈黙』においてのレクター博士は、まさに「怪物」です。『ハンニバル・ライジング』を観さえしなければ、彼に背景はほぼ存在していません

吉良吉影もまた、公式で「母親のしつけが厳しかったせい」というのが彼の異常性癖の理由として出ていますが、本編ではそのような描写はありません。ただひたすら、「手が好きなんだからしょうがない」という感じで行動しています。

ヨーゼフ・ハイター博士にいたっては、本当に全く理解できません。彼こそ完成された「怪物」だと思っています。だって、理由が「つなげてみたい」だけなのですから。一応、シャム双生児の分離手術の権威で、だから今度は逆につなげたい、という理由が描かれてはいますが、その理由自体が理解できないので、完璧です。完璧な狂気です。

 

 

というわけで、私の「怪物」持論でした。

おすすめの「怪物」映画があったら、是非教えてください。

 

蛇足:

上記の理由で「怪物」認定しきれてないんですが、

・『ザ・セル』の連続殺人犯「カール・スターガー 」

・『ハロウィン』の殺人鬼、ブギーマンこと「マイケル・マイヤーズ」

・『ヴィー・フォー・ヴェンデッタ』のテロリスト「V」

は、とても好きなキャラクターです。

特に「V」はかなり「怪物」に近いのですが、どちらかというと彼は「理念」なので、今回は例には含めませんでした。

 

というか、「怪物」じゃなくても「殺人鬼」「マッドサイエンティスト」の時点で、だいぶ好きだよ!!!!!!!!!!!!

 

今までの話ぜんぶ無に帰した気がしますけど、まあ好きなもんは好きだからしょうがないね。クリーチャーも大好きです。ただしジャパニーズホラーだけは勘弁な。

『NARUTO』が私にくれたもの

どうもどうも。働くのやめたら曜日の感覚が失われてきました。ニチアサだけが私の正気を保ってます。

 

noteの記事を真面目に書くようになってきたので、こっちのブログはもうちょっと気を抜いて書いてもいいかなーと思い始めました。

気を抜くというか、もうちょっとディープなオタク趣味とか、個人的なこととか、何書くかをいちいち練るのではなく、好きに文章を書いてみることにしようかな、と。

 

私は、絵を描くのが好きです。

ただ、小さい頃は単純に「おえかきがすき」で、小学生のときもまだ「図工の時間がすき」程度の「好き」でした。つまり、ただ好きなだけで、ものすごくうまくなりたいとか、何かを明確に描きたいとか、そういうものはありませんでした。

 

しかし、中学校に入ってから、私の「好き」は変化しました。

きっかけは、友人に借りた漫画でした。

 

小学生までの私は、漫画というと、従兄弟がくれたと思われる名探偵コナン1冊と、図書館にあったブラックジャックくらいしか読んだことがありませんでした。おもしろいな、とは思いつつも、それ以上の感想は出てこなかったです。

 

私が初めて明確に「興味を持って漫画を読んだ」のは、『NARUTO』でした。

当時、中学生になったばかりの私は『NARUTO』の世界観に没頭し、キャラクターの一挙一動に心を動かされ、敵の死に涙を流し、読み終えると「はやく続きを!」という気持ちになりました。

 

やがて完全にハマった私は、「この漫画のキャラの絵を、自分で描いてみたい」と思うようになりました。

これは、当時インターネットで見たファンサイトの影響と、絵のうまい友人の影響だと思われます。ネット上には膨大な量のファンアート、それもとびきりにうまくてかっこいい絵がずらりと存在し、絵のうまい友人がスラスラと描いているのを見て、「いいなあ、私も描けたらなあ!」と考えたのです。

 

そこからはもう、ひたすら描きまくる日々でした。

漫画を買って模写し、絵のうまいひとのサイトで制作過程を学び、友人と絵を交換したり、どこがおかしいか指摘してもらったり、とにかく描いて描いて描きました。

 

描きはじめた頃は、本当に目のあてられない下手っぷりでした。関節はないし、手が描けないのでうしろに組んでるポーズばっかりになるし、首と肩はおかしいし・・・と挙げだしたらキリがないです。ちょっと頑張って思い出して、昔の自分の絵っぽいものをを現在の絵と一緒に描いてみました。

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こう並べてみると、なかなか上達したんじゃないの?と思います。

あくまで当社比ですけども。

 

今思うと、はじめにハマった漫画が『NARUTO』で良かったな、と思います。

NARUTO』の絵は、バトル系漫画なだけあって動きが多く、また、作者の岸本先生がデッサンをしっかり学んでいるタイプの漫画家さんなので、端的に言うと「すごく絵がうまい」んですよね。

もちろん他にも画力オバケな漫画家さんはたくさんいるんですが、キャラデザの良さ、矛盾のないパース、構図のかっこよさは、やっぱり岸本先生さすがだなと思います。

 

はじめに岸本先生の絵を真似したおかげで、私は動きのある絵、難易度の高い俯瞰絵(上からみた図)などに抵抗があまりなくなり、次々と別の漫画や作品の模写をして、絵を練習し続けることができました。

 

NARUTO』の次に私の絵に影響を与えたのは『ジョジョの奇妙な冒険』かなと思います。あれはもう、真似とかできる次元じゃないんですが、「常識にとらわれたポーズじゃなくて別にいいんだな」「デザインとかもう好きにしていいんだな」と吹っ切れさせるパワーがあります。おかげさまで吹っ切れました。

 

あとは高橋留美子先生のデフォルメ力だったり、人外キャラの魅力に取り憑かれたり、画力オバケの村田雄介先生に魅せられたり、いろんな人の絵の影響を受けて、現在の私の絵があります。

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今は、「うまくなること」より、「自分の描きたい絵を描けるだけの力をつけること」が目標です。

 

他人の評価を気にするよりも、自分の求めるものが描けたなら、それが一番幸せだと思っています。

もちろん、褒められると嬉しいので、いろんなところに絵をアップしているんですけども。自己顕示欲がとまらね〜〜〜!!!!褒められてえ〜〜〜〜〜!!!!!

あともちろん絵うまくなる薬とかあったら速攻飲むんですけど。絵うまくなりてえ〜〜〜〜〜!!!!脳みそから直接プリントアウトしてえ〜〜〜〜!!!!

 

今日も今日とてお絵かきが楽しい。

まるっきりオタクの独り言でした。もうこのブログこんな感じでいいかな。いいか。

映画版『それいけ!アンパンマン』シリーズ 〜他人のために生きること〜

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(※ブログ内の画像は全て自分で描いてます)

 

「何のために生まれて 何をして生きるのか」

「こたえられないなんて そんなのはイヤだ!」

 

これは、有名な曲の一節です。はい、皆さんご存知アンパンマンです。

散々言われていることだと思うのですが、この『アンパンマンのマーチ』、児童向けとしてはかなり重い言葉が散りばめられています。

 上記の一節以外にも、「愛と勇気だけがともだちさ」「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は 行くんだ 微笑んで」・・・わりと挙げだしたらキリないです。

 

この曲は、アンパンマン、つまり「他人のために生きるヒーロー」の在り方を表していると私は解釈しています。これは、アンパンマンの映画をいくつか観ることで、感じたことです。

 

なんでまた突然アンパンマンの話をしはじめたかというと、U-NEXTがきっかけです。
せっかく登録したんだし、『チリンの鈴』以外も色々観てみよう、と思って見つけたのが、映画版『それいけ!アンパンマン』シリーズでした。

 

 

完全にやなせたかし作品にとりつかれてますね。『チリンの鈴』の罪は重い。

映画『チリンの鈴』〜狼にも羊にもなれなかった獣の行く末〜 - そのうち飽きる

 

なんとアンパンマンの映画、短編を抜いても30作品近くあります。歴史が長いアニメではありますが、ここまであるとは知りませんでした。

最近私が観たのは『勇気の花がひらくとき』『いのちの星のドーリィ』『ゴミラの星』の3作品ですが、この中から、特に『いのちの星のドーリィ』について重点的に話をしたいと思います。

 

トーリーの紹介

アンパンマンたちの住む町は、かつて何もない不毛の土地だった。しかし、そこへ「いのちのほし」が降り注ぎ、緑と水の豊かな場所となった。そこで、「いのちのほし」に感謝するために住人たちは祭をひらくことにし、今年もその準備が行われていた。


祭の日が近づくなか、パトロール中のアンパンマンは、海で漂っていた人形を発見し、パン工場へ持ち帰る。その夜、「いのちのほし」が降りそそぎ、その中のひとつが偶然人形に宿る。人形だった彼女はドーリィと名乗り、初めての命を得てはしゃぎまわり、パン工場の皆はドーリィを優しく世話する。

しかし、命を得たドーリィはわがまま放題。学校のみんなにけむたがられても、「せっかく命をもらったんだから、自分のしたいことだけをして楽しく生きるの。それの何がおかしいの?」と言い放つドーリィ。

 

あるときドーリィは、バイキンマンに誘拐される。その後アンパンマンに助けられた彼女は、彼に「なんのために生きているの?」と問う。アンパンマンは「ぼくも最初はわからなかった。でも今は、困っている人を助けるために生きているよ」と答える。ドーリィは「そんなのはカッコつけだわ」と一蹴する。

実は、ドーリィは人形だった頃、ひどい持ち主に痛めつけられ、そして海に捨てられてしまったのである。そのために、「命をもらったら、絶対に好きなことだけして生きていくんだ」と決めていた彼女は、アンパンマンの言うことが理解できなかった。

 

ドーリィの胸の中の「いのちのほし」はだんだんと輝きを失っていく。「自分のしたいことをして、楽しんでいるはずなのに、なぜ?」と戸惑うドーリィ。自分と同じく「いのちのほし」によって生まれ、ほしがきちんと体に溶け込んでいるというアンパンマンと、ほしがなかなか溶け込まない自分は何が違うのか、答えがわからず苦しむドーリィ。


そして「いのちのほし」に感謝をする星祭りの日に現れたバイキンマンのメカ、スーパーカビダンダンの力により、みんなはカビに閉じ込められてしまい、さらに、アンパンマンはドーリィをかばって「いのちのほし」を失ってしまう。アンパンマンを助けるには、「いのちのほし」が必要だ。そこでドーリィは、彼女の「いのちのほし」をアンパンマンのために使うことを決意する。

 

正しい「いのち」の使い方

 初めの頃のドーリィは、「自分だけが楽しければいい」と考えています。これは、彼女が「誰かのために生きることで得られる喜び」を知らないためです。人形だった頃の彼女は、本当にひどい目に遭い続けていたのでしょう。

ですが、彼女はパン工場のみんなの優しさや、アンパンマンの暖かい心に触れることで、徐々にですが「他人のために生きること」を理解していきます。ただ、それでもその生き方を受け入れることが、なかなかできない。

 

そんな彼女を変えたのは、アンパンマンの行動です。

散々ワガママを言って困らせたのに、アンパンマンはドーリィをスーパーカビダンダンにやられてしまわないように、その背にかばいつづけます。「もうやめて!私なんかのために頑張るのはやめて!逃げて!」と叫ぶドーリィに、アンパンマンは振り返り、優しく微笑んで、そのまま石になってしまうのです。

 

「困っている人を助けるのがぼくの生きている理由だ」というのが、カッコつけでもなんでもなく、アンパンマンの本心であることが、この瞬間、行動で示された。これがドーリィを変えるのです。

 

アンパンマン、あたし、やっとわかった。」

輝き出した「いのちのほし」を自らアンパンマンに差し出しながら、ドーリィはすっきりとした顔で言います。

「あたしのいのちのほしは、あたしのこころは、アンパンマンのなかで、一緒に困っている人を助けていくの。ずっと、いつまでも、ずっと!」

 

・・・ここのくだりは、本当に感動モノです。是非、観て欲しい名シーンです。

 

 

結局のところ、「自分だけが楽しい」という生き方は、長続きしないのでしょう。

誰かのために何かができる。それが真の喜びであり、在るべき生き方だと、この映画は言いたいんじゃないかな〜、と私は感じました。

アンパンマンほどの生き方はなかなか難易度が高いですが、心に留めておきたいところです。

 

 

立て続けにアンパンマンの映画を観てみましたが、やなせたかし作品はさすが重みが違いますね。これ、一応終盤でドーリィは無事助かる(ネタバレ防止のための申し訳程度の反転要素)んですけども、そのくだりがなかったら『チリンの鈴』レベルで子供のトラウマになるんじゃないかと思います。

  

今回は紹介しませんでしたが、『ゴミラの星』も「自己犠牲」がテーマのひとつになっています。巨大怪獣映画としても楽しめる、非常に良作です。

また、『勇気の花がひらくとき』は、アンパンマンにしては珍しい恋愛要素があるのと、ロールパンナちゃんの活躍がメチャクチャかっこいいので、これもまたオススメです。

 

noteにあらすじ(というかほぼ本筋)と雑ですが感想を投げているので、よろしければそちらをご覧ください。 

note.mu

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よ〜し次はどのアンパンマン作品を見ようかな!!!!!

また面白い映画があったらダイレクトマーケティングしにきます。ではでは。

 

 

『宇宙戦隊キュウレンジャー』布教まとめ 〜11人いる!〜

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(※ブログ内の画像は全て自分で描いてます)

(上記の画像の背景は Hubble Space Telescope Images | NASA からお借りしました)

 

タイトルからネタバレしていくスタイル。

どうも、最近ニチアサキッズと化している泥水です。

 

ニチアサとはニチアサキッズタイムの略で、日曜日の朝7時〜9時の、テレビ朝日系列の子供向け番組が放送されている時間帯のことです。

戦隊モノ、仮面ライダープリキュアが放送されている時間、と言ったほうがわかりやすいですかね。

 

父が朝アニメを見ていた影響で、私もプリキュアは初代からなんとなく流し見し続け、仮面ライダーも時々見たり見なかったり、戦隊モノも起きれたら見るか〜程度には見ていました。

ただ、今年の2月から始まった戦隊モノ、宇宙戦隊キュウレンジャー』が想像以上に面白く、最近は必ず7時に起きて放送の始まる7時30分にはテレビの前で正座しています。

 

宇宙戦隊キュウレンジャーとは?

あらすじ

時は、はるかかなたの未来――― 宇宙は泣いていた。

宇宙を形成する88の星座系は、宇宙幕府ジャークマターに支配され希望は失われたかに見えた。しかし、宇宙にはある伝説が伝えられていた。

「宇宙が心なき者の手におち、人々が涙するとき、9人の究極の救世主があらわれ宇宙を救う!」

9人の戦士たちはそれぞれが星座の力をやどした”キュータマ”に選ばれたスーパースター。そんな彼らがひとつの場所に集いチームになるとき、宇宙の救世主となるオールスター軍団が誕生。

その名は宇宙戦隊キュウレンジャー

 

イントロダクション|宇宙戦隊キュウレンジャー|テレビ朝日

はい、公式サイトのイントロダクションから引っ張ってきました。

要するに「宇宙が悪いやつに支配されてヤバイので伝説の戦士を集めて悪を倒すぞ」という、いたってシンプルな戦隊モノの定番ストーリーですね。

”9人の究極の救世主”という”キュウ”推しがまたテンポよくて良いです。

 

何が面白いのか?

トーリー自体は、言ってしまえば、ごくありふれた王道的なものです。

しかし、この『宇宙戦隊キュウレンジャー』、とにかく面白いんです。なんかもうすごいんです。

 

※ここから先はネタバレを含みますので、1話からきっちり見たいぞ!という方は素通りでお願い致します。ていうかもうタイトルでばらしててすみません。

 

ポイント1:まず9人じゃない

正直、視聴前の宣伝で見た際は、”9レンジャー”という時点で「えっ、人数多くない!?」と思いました。私の覚えているかぎりの戦隊モノは、大抵5人、追加キャラが増えても6人、少ないときは3人・・・その程度が普通かな、と。

 

ところがどっこい。4月29日現在、キュウレンジャー11人います。

9人で多いとか完全に舐めてた。11人ですよ11人。萩尾望都の作品かな?

 

ポイント2:キャラの個性がすごい

11人もいたらさすがに覚えられないだろ!!という気がしますが、全然問題ありません。覚えられます。なんてったって全員キャラが濃いから。

 

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文字が多くて読みにくいですか?すみません。

かなり偏った情報ですのでちゃんと知りたい方は公式HPを見ることをお勧めします。

キャラクター|宇宙戦隊キュウレンジャー|テレビ朝日

 

そして変身前がこちら。

 

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正統派イケメン影のあるイケメンCV中井和哉の狼男CV大塚明夫の牛ロボットデザイン神のアンドロイドヒロイン明るくおちゃめなヒロインみんなのママお兄ちゃん的イケメンCV小野友樹のチャラい機械生命体と感情の薄いイケメンのコンビ極めつけにCV神谷浩史のお調子もの司令官更に弟思いのかわいい男の子!!!!!!

 

「これだけ盛ればもうどこかしら心に刺さるキャラいるでしょ」と言わんばかりの属性の盛り方です。オタク的には、声優のチョイスもかなり素晴らしいと感じます。

中井和哉さんは『ONE PIECE』のゾロ、大塚明夫さんは『メタルギアソリッド』の主人公ソリッド・スネーク小野友樹さんは『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』の東方仗助M・A・Oさんは『がっこうぐらし!』の若狭悠里神谷浩史さんは『進撃の巨人』のリヴァイ などが有名でしょうか?)

 

そして、個性は中身だけじゃない。変身後の姿にも特徴があります。

例えば狼男のガルは、モフモフとした体毛と鋭いツメを持った手足が変身後にも残っています。ヘビツカイのナーガはヘビのウロコ模様が入っていますし、機械生命体のバランスロボットのチャンプは変身後もロボロボしたデザインになっています。

また、戦隊モノの”目”となっている黒い部分も特徴的ですね。それぞれの星座がモチーフになっていて、しかも宇宙っぽくキラキラしている。とてもかっこいいデザインです。

 

この11人が「オリオン号」というキュウレンジャーの拠点である宇宙母艦でワイワイしている様は本当にかわいいです。ブルーとグリーンの喧嘩回、結束を強くするためにみんなでダンスする回、ゴールドのお誕生日を祝う回・・・ とにかく、とにかく、どのキャラクターもみんな個性があって素敵なんです。

 

ポイント3:それぞれの出番がきちんとある

11人もいると各キャラの出番がものすごく少ないのでは?という疑問が生じますが、『宇宙戦隊キュウレンジャー』の基本的な出撃人数は「5人」です。

毎回、くじ引きで出撃する人物を決めています。主人公のラッキーはその名の通り「宇宙一ラッキー!」なだけあって毎回出撃していますが、今のところ他のキャラはまんべんなく活躍しているイメージがあります

また、出撃しないメンバーは船の修理をしたり、別の任務についたりと、全く出番がないわけではないので、推しの出番がゼロ!ということはあまりない親切設計。

 

 

一人でも気になるキャラがいましたか?

そうか!!!なら見るっきゃねえな!!!!!

 

 

さてさて、まだまだ語りたい点はいくつもあるのですが(主に敵側キャラなど)

あまり長く語りすぎるのもよろしくないので、ここらで一度筆を置きます。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

日曜 朝7時30分、テレ朝5チャンネルで放送しています。

是非一度、ご覧になってみてください。

 

以上、『宇宙戦隊キュウレンジャー』の布教でした。

(ちなみに私の推しはテンビンゴールドとリュウコマンダーと敵のマーダッコです)